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お釈迦様が生まれてから出家し、修行に出るまでのお話②

前回のお話は、お釈迦様が出家して修行僧になろうと思ったきっかけのお話をしました。
今回のお話は出家して修行に出るまでのお話をしていこうと思います。

お釈迦様は、日に日に早く出家したいという気持ちが成長するたびに深く物思いにふけていく姿を国王である父が見て心配し、縁談するように持ち掛け、どんな良家の娘にも興味を示さない為、太子(お釈迦様)をこの国に繋ぎ止めておくために、妃を募集するおふれを出しました。
これを聞いた者たちが太子の妃にしたいと思い豪華な宝石や衣装を身に纏わせて太子に会い、ある娘は舞を舞って見せたり、ある娘は歌を歌ったりと、少しでも興味を持ってもらおうと一生懸命アピールしてきますが、太子は全く結婚する気持ちがないので、申し訳ないと思い一人ひとりに結婚する気持ちがない事を伝え、贈り物を送り帰らせました。

そして、最後の1人が終わり贈り物も無くなった後、1人の娘が飛び込みでやってきました。
その娘はとても美しかったのだが、今まで来た娘の様に豪華な身なりでなかったので、この噂を聞いた村娘が贈り物欲しさにやってきたのだと思い、太子(お釈迦様)は身につけている宝石を渡して帰ってもらおうと思ってましたが、娘はハッキリと贈り物欲しさで来たわけではないことを伝え、そして「私は、太子の心を優しさや愛情で飾って差し上げたいと思い参りました」と答えました。
全く思いがけない答えが返ってきたので少し躊躇ったのですが、しばらく考えて結婚することになりました。
そして、結婚した太子(お釈迦様)はしばらくの間は明るく振る舞ってましたが、日に日に退屈になってしまい「こうしてる間に、年老いていき、寿命が尽きようとしているのだが。愛する妻との生活は楽しいがそこに埋没してこのまま時が過ぎてしまっていいのか?やはり城を出て真実を求めるべきではないか」と考え込んでいました。
自分の気持ちを伝えて城を出ようと思っていた矢先、妃が身ごもった為お城と家族を捨てて出家することが出来なくなりました。
そして、我が子が生まれた時につけた子供の名前を「ラーフラ」と名づけました。
このラーフラの意味は、束縛する者を意味していて、自分をこの城に束縛する者が現れたから真実を求める事ができなくなった太子(お釈迦様)の葛藤と苦悩を表現したのではないかと言われてます。

しかし、時が過ぎ太子が29歳になった頃、もう真実を求めたい気持ちが限界を超えてしまい、城全体が寝静まった中行動を起こす事にし、
その時に太子の馬の世話係をしているチャンナという者に協力してもらい、夜明けには完全に城を抜け出すことが出来ました。
そして、村に着いてすぐに髪を切り落とし、悟りを開くための修行場所を探したそうです。


お釈迦様が真実を求める為に、家族や身分を捨て修行の旅に出たまでが今回のお話でした。

私自身も妻や子供、両親もいる中で、自分のやりたい事はあるのですが、お釈迦様の様に全てを捨ててその道に進むというのは私には出来ませんが、諦めず、自分の家族を守りながら、たとえ少しずつしか進まなくても行動し続け、あとで後悔しないような人生を歩んで行こうと思えたのもお釈迦様のおかげであります。
周りの人達と比べたり、合わせるのではなく、自分の人生なんだから周りに何を言われようが、自分が幸せと感じたらそれで良いんだと私は思います。
そうでないと、今の世の中は疲れますので。

次回は、お釈迦様が悟りを開かれるまでのおはなしをしたいと思います。

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