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【開墾記事】 場にしていく 1

開墾を始めて1ヶ月半が経つ。
当初考えたプランはこうだ。

開墾-01

ちなみに、ステップ5の開墾祭を催すのは、9月に植えたじゃがいもが食べられる時期、だいたい12月〜1月をイメージしている。
人をたくさん呼ぶ予定は今の所、無い。

「この土地を何のために開墾するのか?」

大それた目的はない。
目先のことを言葉にすると、
使える程度に切り開き、小屋を建て、果樹を植え、好きな野菜を植えるだけの畑を作る。そんなイメージだ。ただ、これにワクワクしている。

長期的に見てもぼんやりしている。

私のやりたいことの一つに
注文を受けてから種をまくレストラン的な場所を作る」というのがある。
これは文字通り、注文を受けてから、野菜の種をまき、収穫の時期に調理し提供するというものだ。
細かいアイデアは未来の私に任せることにしているが、これはやりたいと思っている。この開墾地は、5から10年後にそのレストラン的な場所のために使おうかと考えていた。

ちなみに、これが社会的な何かを解決するかどうかは特に考えていない。
社会的な発展は、正直どうでもいい。

ただ肌感として「世界との感覚的距離感が感じられる場所はあったほうがいいんじゃない?」とは思っている。

例えば、レストランでは、だいたい注文後15分〜30分で料理が出てくる。そして、私たちは、その時感に対してお金を払う。

でも、実際はその料理が15分〜30分で出来たわけではない。

じゃがいも一つ使ってあれば、その料理が出来るまでに4ヶ月程度かかっていることになる。玉ねぎが使ってあれば半年だ。玉ねぎはポッピュラーだが、時間がかかる。

さらに、じゃがいもや玉ねぎを、その期間で育てるためには蓄積されてきた知恵が必要である。一朝一夕のたまものではない。
そして、当然ながら、我々の生の根底に横たわる自然の力が必要なのである。

「ありがたみを感じなさい」と言っているのではない。

この「世界との感覚的距離感」がしっかり感じられると、
私は、自由であることの確認が出来るのではないか、と思っている。
この部分の言語化はまだまだだ。

「私は、ここにいる」という感覚だろうか。
世界との時感、距離感が、正確に認識できて始めて、自分の「居所」が把握できるのではないか?とも思っている。
また最近の個人的キーワードを使うと、脳みその錆びて滞ってしまっている部分が、アクティベートされる、と言ってもいいのかもしれない。

とりあえず、この辺にしておこう。兎にも角にも、まだ言語化出来るほど固まって
いない。このやりたいことは、まだ種ですらない。

私が作りたいのは、身体的精神的自由に寄与できる場所だ。
それが達成されれば、どのような形でもいい気がしている。

私は、この開墾地を、そのような方へ向かうものとして、開いて行きたいと思っている。

P.S.2019年10月3日の私の日記によると、ここには宿泊も出来るようだ。
毎日写真を撮りたくなるような畑もあり、カフェスペースもあるとか。

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