私の視点の方がずれてるな、と思った

 みんな大好き「ワールドトリガー」、私も当然のように(単行本派ではありますが)読んでいて大変好きなのですが、26巻を読んだときに「おぉ?」と思ったというか、キャラクターの解釈が違ったというか、そんな事がありました。

 読書メーターでも書いた通り、照屋の反応が私の解釈と合わなかあったという話なのですが、公式が正しい解釈なのはそれはそれとして、じゃあ私はどこがずれていたのかといえば、彼らの望むもの、ということのようなんですね。

 作中、水上は照屋たちメンバーに渡せるものは「成績だけ」と言ってるわけですが、成績ってのはA級の評価だったり訓練での得点なわけです。けど、このひとたちって別にeスポーツのハイスコアを競うために合宿してるわけじゃなくて、近界民から街、もしくは自分を守るためにやってるわけで、その訓練で得られるものが成績だけだったら悲しくならない? というか、成績よくても死んじゃったり守れなかったら意味ないんだからさ、成績持ち出されてもチームをチームとして扱ってなかったことは相殺されなくない? というのが気になってしまいました。成績の話で納得しちゃうの?

 ただ、考えてみると評価と自分の成長がほぼ同一に感じられるというのもあるのかもなあと。それに、それこそeスポーツの延長上としての防衛任務という考え方もあるだろうし、組織と言わなくてもチームに所属してたら周りの評価は気になりますよね…例えば野球とかサッカーのチームに入ってて、地域選抜に入ったら、個人の目標もだけど周りの目も気になるってものでしょう。チームの評判が落ちないように、みたいな気持ちもでるでしょうし。

 そう考えると作中の反応も普通なのかな…と思い直したりするのでした。私自身が成績というか評価を気にしない方なので(実際にできるかどうかはそれなりに気にする)、ちょっと読み手としての視点がずれてたな…などと思った26巻なのでした。

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