逃げてきた人生
私は2年制の専門学校を卒業した。
就職した会社の新卒研修の一環で、他の企業の新卒と合同で行うビジネスマナー講習に参加させられたことがあった。
とあるオフィスビルの会場には、50人近くの新卒が集まっていた。
高卒もいれば、大卒もいれば、私みたいな専門卒もいた。
たまたま隣の席に座った人が、なんとなく話しやすそうな感じの男で、どちらから声をかけたのか、気がつけば、彼といろいろなことを話していた。
ほとんど会話の内容は忘れてしまったが、唯一おぼえているのは、彼が大学院卒だったということ。
そのとき彼は、27歳だった。
一方で、私は20歳の専門卒。
同じ新卒であるにも関わらず、彼は私よりも7歳も年上だった。
しかし、彼はずっと低姿勢で、20歳の私に対して敬語で喋っていた。
私から変なふうに思われたくなかったのか、ずっと愛想笑いを浮かべていた。
その姿を見て、生きづらそうな人だなという印象をおぼえた。
私は「大学院まで行ってるなんて優秀なんですね」と、彼を持ち上げたつもりで悪気なく言うと、彼は申し訳なさそうに次のように答えた。
「だれでも入れる大学院だし、研究テーマもまったく興味なかったし、とりあえず就職したくなかったからずっと大学院にいただけで、ぜんぜん優秀じゃないですよ」、と。
さらに彼の自虐はつづき、私に名刺を差し出しながら、
「この会社だって大学院まで行かなくても、だれでも入れる会社ですから」と、いったのだった。
残念なことに、それ以外の会話はまったくおぼえていない。
しかし、とにかく彼はだれでも入れる大学院に行き、自分が就職した会社を貶めつつ、自分のことを恥ずかしがっているような雰囲気だったことだけは、よくおぼえている。
当時世間知らずだった私は、どんなレベルの大学院であれ、そこで勉強していただけで十分にすごいことではないかと思った。
なぜなら私自身は、大学にすら行かずに専門学校に行った人間だからだ。
でも、いまになってみると、彼の気持ちがすこしだけわかるような気がする。
彼はなにか、明確な目標があって博士課程まで進んだわけではなく、就職から逃げつづけて27歳まで年齢を重ねただけだったからだ。
就職したくなくて大学に進学する子はたくさんいるが、27歳までそれをつづけている人は、見たことがない。
じっさいにはそれなりにいるのかもしれないが、すくなくとも私は、就職したくないからという理由だけで博士課程まで行った人間を、彼以外には知らない。
さて、ときは進んで、私は現在30歳のニートである。
28歳まではそれなりに仕事をしてきたが、いまという瞬間だけを見れば、アラサーで無職のよくわからない存在だ。
院卒の彼はいちおう、どのような理由であれ大学院にまで進学して、私みたいな世間知らずを騙せる程度には、立派な肩書きを得ることができた。
しかし私は専門卒で、ただただ10社以上を転々としてきただけの複雑怪奇な野蛮人。
それでも私は、自分の人生にそれなりに満足している。
10社以上転々としてきたが、逃げたという感覚はひとつもない。
よくいえば、戦略的撤退。
あるいは、損切り。
可能であれば、私は来年、大学に行きたいと思っている。
理由は、ただひとつ。
私も彼と同じように、働きたくないからだ。
これは、逃げではない。
自分の思いに忠実なだけである。
すくなくとも私の印象では、彼は自分の人生を誇ってはいなかった。
それは彼が、自分の思いから逃げてきたからではないか。
就職しないことを、逃げとはいわない。
逃げとは、自分の思いに忠実じゃないことをいう。
逆に、本当はやりたいことがあるのに、変化を恐れて会社を辞めることができないのであれば、それは逃げだ。
そういう人は、どうやら、他人と今の自分に対しては礼儀正しいようだが、未来の自分に対しては礼儀を欠いてもかまわないと思っているようである。
そもそも働きたくないという思いは、恥ずかしいことではないし、
世間体や収入など、いろいろな理由から22歳くらいでなんとなく就職していく人たちがいるなかで、逃げだろうがなんだろうが、27歳まで、就職したくないという思いを貫き通した彼は、私から見ればかっこいいと思う。
ふつうは怖いに決まっている。
だからみんな、18歳か20歳か22歳で就職していく。
しかし彼は27歳まで、それを貫き通した。
だからこそ、7歳も年下の私に対して愛想笑いを浮かべているヒマがあったら、自分の人生を堂々と語ってほしかった。
大学院でどんなことをやってきて、どんなふうに過ごしてきたのかを、面白おかしく語ってほしかった。
ビジネスマナーの話しより、彼の大学院での体験談のほうがはるかに面白かっただろうから。
たしかに、こんな謎のオフィスビルで、高卒や大卒たちと一緒になって新卒研修に行かされているわけだから、大学院ではあまりいい結果は得られなかったのかもしれない。
これまで出会った人たちの視線が、冷たかったときもあるだろう。
私も計画どおりに行けば、31歳で大学生になる。
できれば彼と同じように、大学院まで行きたいと思っている。
理由は、ただひとつ。
働きたくないから。
勝ち組の人生を送っていないことは、だれから見ても一目瞭然だ。
しかし、自分の人生に、他人の視線を考慮する必要はない。
変なふうに思われようが、正々堂々と、自分の思いに忠実に生きるだけだ。
それさえできていれば、滅多なことでは後悔しないと思っている。
とはいえ、自分の思いに忠実に生きることこそが、もっともむずかしいということを、私たちはよく知っている。
その思いに対して、どこまで挑戦しつづけることができるのか。がんばらなければいけないことがあるとすれば、そこだけだろう。
1Q84、1巻が読み終わりそうです。