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亡き父の呼ぶ声


母がアルツハイマーになった。

しっかり者だった母。

仕事も家事も手を抜かない人だった。

苦手なことは育児ぐらいだったかもしれない。


酒乱の父が65歳で亡くなった時、

母が言った。

「これでやっとゆっくり眠れる。」

すこぶる仲の悪い夫婦だった。

でも、

それでも40年連れ添った夫への最後の台詞がこれか…

寂しいなと思った。


夜中に帰宅して暴れる父を警戒し、

いつでも逃げられるよう枕元に靴を置いて寝ていた母。

防災レベルの警戒だった。


私が実家から少し離れた場所に住んでいた頃、

ドンドンドン!

「助けて!」

真夜中に玄関のドアを叩きながら叫ぶ声。

母だった。

ドアを開けると追いかけてくる父が見える。

母を家に入れ、急いでドアを閉めた。

ドアの向こうでわめく父。

「お父さん、今日は帰って。」

私がそう言うと、父は少し我に返ったのか、家に戻っていった。

還暦を越えてもおさまることのない暴力。

八つ墓村やん…

父が追いかけてくる姿は、まるで八つ墓村のワンシーンのようだった。



それでもずっと別れずにいた夫婦。

そんな両親の間にいるのがつらかった。

できることなら別れて欲しかった。

暴力を見続け、罵り合いを聞き続け…

そんな家庭が子どもにいい影響を与えるわけがない。



父亡き後、なぜ別れなかったのか母に聞いた。

「あんたらを転校させたりするのが面倒くさかったから。」

面倒くさかった。

そう…

たぶんそれは本心だろう。

そういう面倒を引き受けるくらいなら、父に殴られていたほうが母はまだマシだったんだと思う。

でも、お母さん。

兄ちゃんも殴られてたよね。

それも我慢できた?

私は自分を殴る人間とは暮らせない。

ましてや子どもを殴るなんて言語道断だ。

人が何を我慢できないかは、いろいろだ。




父がいなくなって、せいせいしたはずの母だった。

なのに、

母は徐々に母ではなくなっていった。

月に1度は必ず美容院でカットして髪を染めていた母。

定年になっても仕事をしていた母。

父がいなくなると、

髪も染めなくなった。

遺族年金が入るからと仕事も辞めた。

出かけることもほとんどなくなった。

ただ家にいてテレビを見ている。

母と離れて暮らしてた私がたまに実家に帰ると、

母は同じ話を延々と繰り返すようになった。



嫌な感じがする…

その予感はすぐに的中した。

母はあっという間に家事をすることすらおぼつかなくなっていった。

親戚や近所の人からも母の奇行を聞くようになった。



ある日、母から電話がかかった。

壊れたレコードのように何度も何度も同じ話を繰り返す。

ずっと聞いていた話が途切れた。

「じゃあね、またそっち行くから。」

私が電話を切ろうとすると、

母は私を呼び止めた。

そして、

「元気でな…。」

そう言った。



一瞬、時が止まった気がした。

「元気で…。」

母が私にそんな言葉を言ったのは初めてだった。

「ばあちゃんは、お母さんが嫌いなんやね。」

そう息子から言われるほど、母は私にキツかった。

それなのに…

そんな優しい言い方を聞いたのは初めてだった。


もう母が母ではなくなる気がした。

もしかしたら、母と話すのはこれが最後なのかもしれない。

そう思った。




そして、

やっぱり最後になった。

やっぱりそれがお別れの言葉になった。

母の症状はどんどん進み、次に会った時には私のことがわからなくなっていた。

そこに母の体はある。

だけど、私が知ってた母はもうそこにはいない。


「ウチのお父さんは酒飲みでね。酒飲み過ぎて死んでしまったわ。」

「でも、お父さんが若い時からずっと働いてくれてたおかげで、私はお父さんの年金で食べていけるんや。」

もう誰かわからない私に母が話す。

お父さんのおかげ。

母が、

お父さんのおかげ、と…



初めて聞いたね、お母さん。

お母さんがお父さんを褒める言葉。

初めて聞いたよ。

嬉しかった。

言葉にはしなかったが、嬉しかった。



母の記憶から何かが無くなって、父への感謝の言葉が出てきた。

それが嬉しかった。

暴力を振るう父を私も好きだったわけじゃない。

憎んでいた時間のほうが長かった。

それでも母からずっと父の悪口を聞かされるのはつらかった。

(お母さん、お母さんにとってお父さんは他人でも、私にとっては親なんだよ。私の中にはお父さんの血も流れてるんだよ。)

それも言葉にしたことはなかったけど…



「毎日お父さんが呼びに来るんや。」

母が言った。

え…?

「毎日毎日、『おーい、おーい』って家の外からお父さんが呼ぶんや。」

「お父さんが?」

「うん。もう毎日毎日。」

お父さんが…

呼びに来てる。

お父さんがお母さんを呼びに来てる。

母にしか聞こえない声。

呼びに来てるのは確かな気がした。



それから半年ほどして母は亡くなった。

あんなに憎しみ合ってるように見えたのに、

父は母がいないことが寂しかったのか。

母も父がいなくなって寂しかったのか。

呼びに来た父と一緒に行ってしまった。

お互いに憎しみをぶつけ合うことで成立していた関係なのかもしれない。

私が心配する必要も、間に入る必要もなかったのかもしれない。

2人はそれで良かったのかもしれない。

そんな姿は私と兄にはつらいだけだったけど。



入院していた母を息子と一緒にお見舞いに行った時。

どなたかわかりませんが、という顔をして、

「こんなところまで来てくれてありがとう。」

母は来客に対するような丁寧な態度で接してくれた。

「私、この指輪が好きでね。」

指にはめた青い石の指輪をさすりながら言う。

お母さん、そんな指輪持ってたっけ。

初めて見た。

青い石が好きだなんて、初めて聞いた。

自分にはそういう色は似合わないからって、いつも言ってたよね。

似合わないけど好きだった?

知らなかったよ。



私と息子が帰ろうとすると、母も一緒に立ち上がり、私と息子に握手を求めた。

すっかり細くなった母の指と握手する。

「来てくれてありがとう。」

母がニッコリ笑う。

お母さん…

そっか、

本当はそんな顔で笑うんだ。

きっと子どもの頃はそんな顔で笑ってたんだね。


帰り道、息子が言う。

「ばあちゃん、トロッコ電車でお花畑をトコトコ進む少女みたいやったね。」

「ホントやね…。」

父が亡くなった頃から母はお花をたくさん育てていた。

多くのことに興味を失っていった母だったが、

お花の世話をするのは楽しそうだった。

花に囲まれて母は少女に戻って行った。

これまでどんなに気を張って生きてきたんだろう。

やっと本来の自分に戻ったんだろう。

私が生まれる前の母を私は知らない。

環境や境遇は、

いろいろに人を変えてしまうんだろう。




泣いてる背中、怒ってる顔、

そんな母ばかりを見てきた。

でも私の記憶に1番深く鮮やかに刻まれたのは、

少女のように無垢な母の笑顔。



笑ってくれてありがとうね。

お母さん。

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