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真夜中の泣き声

離婚後、

地元から50kmほど離れた金沢に引っ越した。

15歳と13歳の息子2人と私の3人暮らし。

高機能自閉症の息子たちは、ほとんど外に出ず引きこもっていた。

それでも2人とも病気をしなくなり、

静かに留守番してくれてたおかげで、

私はフルタイムで看護助手として働くことができた。


朝6時半からの勤務。

息子たちの朝食と昼食の準備をして家を出る。

もともと料理は得意ではない。

せいぜい味噌汁におかず1品とご飯くらいの食卓。

長男は1人部屋で一日中絵を描いてるか、パソコンに向かってるか、オンラインゲームをしていたと思う。

夜中もずっと起きてることが多かった。

私と次男は同じ部屋で寝ていた。


引っ越して3、4ヶ月経った頃、気になることが出てきた。

子どもの泣き声だ。

毎晩のように聞こえて来る。

たぶん私の部屋の隣。

夏だった。

窓を開けて寝ていた。


長男も小さい頃の泣き方はひどかった。

いったん泣き始めると2時間くらいおさまらないこともザラだった。

だから私は子どもの泣き声が気になるほうではない。


だけど、隣の部屋の泣き声は尋常じゃなかった。

泣いてる時間も長い。

時々、

「ママ、ママ!」

「熱いー!」

そう繰り返してるように聞こえる。

ドンドンドンと何か叩く音もする。

こんな時間に子どもが起きてるのか…

明日も朝早いから寝ないと。

そう思うが気になって眠れない。

それにしても子どもの声しか聞こえない。

お母さんは返事もしないのか…

起きてしまった次男にも聞いた。

「泣いてるね…。」

「うん…。」

なんだろう…


ある日の夜、

また泣き声が聞こえてきた。

うー、気になる…

部屋の窓から泣き声が聞こえる方向に身を乗り出す。

やっぱ隣だよなぁ。

ふと気づく。

あれ?

人がいる。

アパートの前の暗闇に人が立っている。

男の人のようだ。

隣の部屋の窓を見上げて立っている。

そうだよね…

絶叫に近い泣き声がずっと続いてる。

これだけ大きな声で泣いてれば外まで聞こえるだろう。

夏だから窓を開けてる人もいるだろう。

近所の人が心配して外に出て、泣き声のする方向を見上げてるんだと思った。

やっぱりみんなおかしいと思ってるんだ…


その次の日。

ピンポン!

インターホンが鳴った。

その日はお休みで目覚ましもかけていなかった。

ピンポン?

何時?

今、何時?

寝ぼけていた。

時計を見ると、朝5時だ。

は?

こんな時間にピンポンて…

気持ち悪い。


ドキドキしながら玄関の覗き穴を覗く。

えっ!?

慌ててドアを開ける。

「朝早くにすみません。」

警察官だった。

「いえ、なんでしょう?何かありました?」

警察がなに?

寝ぼけた頭が混乱する。

「実はお隣の家のことでお聞きしたくて。子どもの泣き声って聞こえます?虐待じゃないかって通報がありまして。」

「あぁ…。」

「何か声、聞こえますか?」

「えぇ、まぁ…。虐待、と疑われても仕方のないような泣き声は聞こえます。なんか『熱い』とか聞こえて。かなり激しく泣いてますけど…。」

「そうですか。わかりました。朝早くにすみませんでした。」

警察官は帰って行った。

見てるわけじゃないしハッキリとは言えない。

通報したのはあの男の人だろうか。


隣の部屋には、若いお母さんと小さな息子さんが2人で住んでいるようだった。

たまに見かけるお母さんは、ストレートのロングヘア、いつもサングラスをかけていた。

細身の体型に丈の長いシンプルなワンピース。

素足に底の厚いサンダルというスタイルが多かった。

サングラスでよく顔は見えないけど、綺麗な人だと感じた。

ただなんとなく表情がないような気がした。

スタスタ歩くお母さんの後ろを、息子さんが追いかけて歩くのを見たことがある。

3歳か4歳くらいだろうか。


数日後、

今度は夕方にインターホンが鳴った。

こないだの警察官だった。

「お隣の方に聞いたところ、子どもさんがアトピーで痒くて泣いてるそうで。大丈夫みたいです。お騒がせしました。」

アトピー?

アトピーで熱いとか言う?

アトピー、ではないんじゃない?

そんな感じじゃないけど…

まぁ…

虐待疑いのある本人に聞いたところで、

「はい、虐待してます。」

とは言わないよね。

かと言って家の中を見張ることもできないし。

こんな程度にしか調べられないんだ…

虐待があったとしても、なかなか発覚しないのも仕方がないんだろう。


その後もしばらくは子どもの泣き声が聞こえていたが、いつからか気にならなくなった。

若いお母さんの母親なのか、

年配の女性が、お母さんと息子さんと一緒にアパートの階段を上る姿を、時々見かけるようになった。

警察が来たことを親に話したのかな。

何が起きていたのか実際にはわからないけど、

何か状況が変わったことは確かなようだった。


通報してくれた人のおかげだな…

私はものすごく気にしながらも、

何もしなかった。

虐待かどうかわからなくても、

警察が来たことで、

若いお母さんは他人の目を意識したかもしれない。

周囲はそこまで無関心じゃないよと。

家庭内のことに他人が干渉するのは難しい。

小さな子どもが自分の状況を誰かに話すことも難しい。


あの時のことを振り返る。

「熱い」と言って何かを叩く音。

当時はピンと来なかった。

でも、もしかしたら…

偏見かもしれないが、

あの若いお母さんは夜の仕事をしてるように見えた。

もしかしたら、

夜出かける時、どこかに子どもを閉じ込めて出かけていたのかもしれない。

子どもが外に出ると危ないから。

だから子どもの声しか聞こえなかった?

夜中に目を覚ました子どもが泣いて叩いてた?

呼んでも呼んでもお母さんは来ないし…

わからないけど、

「熱い」ではなくて「暑い」と言ってたのかもしれない。

なぜか私は「あつい」を勝手に「熱い」という漢字に変換してた。

部屋の…

押し入れ?

あの間取りで閉じ込めることができる場所。

押し入れくらいしか思いつかない。

押し入れに閉じ込めて仕事に出ていたのかもしれない。

夜中に暑くて目が覚めて…

あくまでも想像の域を出ないし、事実は全然違うかもしれない。

ただ、あの子が必死で泣き叫んでいたことは確かだ。


シングルマザーでも、シングルファザーでも、1人親というのは親も子どもも大変だ。

両親がそろっていても子育ては大変なのに、

生活費を稼ぐことも、子どもの世話も、すべて1人でしなければならない。

子どもも我慢しなければならないことは多い。

1人親になってしまう理由はさまざまあるけど…

DVなど深刻な問題のある配偶者といるくらいなら、別れた方がいいと思う。

だけど、やはり両親がそろっていることは幸せだ。

それなりに両親の仲がいい。

それなりに親子の仲もいい。

そういう家庭があることは本当に幸せなことだ。

つくづくそう思う。



あれから10年以上たった。

私はもうあの時のアパートには住んでいない。

あの息子さんも高校生くらいになってるだろう。

元気でいてくれるといいな、

お母さんも息子さんも…

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