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他人の人生を生きるひと

昭和時代の会社では現金を紙の封筒に入れて

給料日になると社員に直接手渡ししていました



年2回の賞与も同じ方法でしたので

役職のある人のそれはとても厚く



出世することを
「給料袋が立つようにならないとな」
などと表現していました





その頃は厄介者扱いされているような

オトーサンであっても



給料日だけは待遇が違います




鞄から給料の入った封筒を掴むと
「ほら 今月分だ」と
鼻息も荒く妻の前に差し出します


オカーサンはそれを両手で受け取り
頭の上に捧げます



この瞬間



オトーサンは家長であることをしみじみと実感し



オレは家族から尊敬されているぞと



一人うなずきます






このような儀式はもう
今の日本の家庭で見ることはできません





オトーサンがオトーサンたる所以を


多くのオトーサンが味わえないどころか




一度も経験したことのない
オトーサンだっているのです


誰かが認めないとあなたは存在しない?


集団で暮らす動物は

数を寄せ集めることで外敵から身を守ったり

食料を効率よく確保します





集団の中で暮らしていくためには

その集団に認められる必要があり

害となる個体はそこからはじかれてしまいます




人の社会も同じでお互いを認め合うことで
組織として成り立っています



ところが人は他の動物と違って



自分を特別な存在として認めてほしい

自分の優れているところを知ってほしい


こうした感情を持っています



これは一概に悪いこととは言えず

スポーツ選手が活躍したり

経営者が会社を大きくしようとする

原動力として働きます




問題なのは




自分の存在を認めてほしいと思うあまり



自分を過度に演出してしまうことです




高級スポーツカーを操る自分

三ツ星レストランで食事をする自分

モデルと付き合っている自分

ブランド品に身を包んだ自分



これらをネットにアップして

羨望や憧れの存在として見られる


中には妬む人も出てきますが

それすらも評価の一つと言って
受け入れて悦に入る




虚飾の世界を生きる芸能人ですら

自分を見失い精神的に病んでしまうのに





誰かに評価してもらうための装飾は

いつまでも輝いてはくれません




次の装飾を求めそれが色褪せたら

また次の装飾を求めてしまう



いくら高級品で身を包んでも

心はいつも飢餓状態で満たされることはない




仏教ではこれを六道の中の餓鬼道といいます





他人の評価で自分の存在を確かめるというのは
評価者に自分の人生を
委ねているのと同じことです


内なる自分が評価する


過度な承認欲求は意味のないことであると

メンターの「松田 豊さん」も説いています



以前いただいたメルマガの中でも
誰かの評価で生きることよりも
大事なのは自分が自分のことを好きであること
と書かれています




他人から好かれることなど
実はどうでもよいこと


そもそも全員から
好かれることなどありえない話



自分の好きなことをして
たとえそれを誰も評価してくれなくても
自分にとって価値のあるものなら
それは神様が望むものだとも書いています




わたしはこうしたメッセージを
受けることによって

承認欲求の呪縛から逃れる術を
学ぶことができました




わたしは誰かに褒めてほしくて

この人生を歩んでいるわけではありません

わたしはわたしの魂を輝かせるために



この世に存在します





何かを持っている自分ではなく

心優しい自分

人に親切な自分

穏やかな自分

愛ある自分






内なる自分が評価を下して認めてくれる

そうしたものを目指したいと思います





ここまでお読みくださり
ありがとうございます

あなたのもとに 素晴らしいことが

たくさん たくさん

降り注ぎますように



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