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目の前のことに感謝するとは


宇宙の法則の

代表的なものの一つに

投げかけたものしか返ってこない

というものがあります




私のメンターである「松田 豊さん」

もう15年以上の

引き寄せ実践者であり

その真理についても

数多くの動画で

メッセージを送っています

動画の中では感謝の大切さ

感謝の投げかけは基本であり

自分の身に不都合が起きても

感謝できるのかを試されている

それが神様の法則だとしています




感謝の大切さは多くの自己啓発や

精神世界の中でも言われていて

人間として生きていること自体

それだけで感謝に値するそうです




感謝 つまり「ありがとう」は

それほど難しいことではないのに

なぜ殊更その重要性について

語り伝えられるのでしょうか


お礼ができない?


両手に荷物を持っていたら
ドアを開けてくれた



うっかり小銭を落としたら
拾って手渡してくれた



終わりそうにもない仕事を
一緒に手伝ってくれた



これらの行為に対して

私たちはうっかり

「す(み)いません」を連発しがちです



心は感謝しているつもりでも

出てくる言葉に整合性がありません





「す(み)いません」は

通路を空けてもらうときや

道を尋ねるとき

あるいはビールを注文するとき



ありとあらゆる場面で使える

とても便利な単語です




英語ではエクスキューズミーが

相当するといわれていて



ちょっと失礼とか軽く謝るときに

使われることが多いようです




人から何かしらの施しを受けて

お礼を言うのではなく

謝罪を述べているというのは



この社会で通じていても

宇宙に投げかけてしまったら

宇宙はどう受け止めるでしょうか






目上の人から何かをされても

「ありがとうございます」よりも

「申し訳ございません」のほうが

丁寧だと勘違いしがちです





日本には「へりくだり」の

文化があって

それで社会を構築してきました

社会の中には基本的に

上下の関係があって

自分を下に置くことが

美徳とされています




「つまらないものですが」や

「お口に合わないかも」など

とにかく相手を上に置くことで

無用な軋轢を排除する

ための知恵です




日本人としては理解できますが

こうした言葉を投げかけて



いったいどんな現象が返ってくるのか?



それを考えたとき



私は素直に「ありがとう」を

口にしたいと思います




実際ありがとうと言った時のほうが

心が晴れやかな気になりますし

「ありがとう」を言い続けていると

「す(み)いません」は

卑屈なイメージを強く感じます


感謝は人に対してだけじゃない


いつも持ち歩くバッグ

いつも使うマグカップ

いつも手にするペン

いつも見ているスマホ




こうした道具類は何となく

あるのが当たり前で

その機能を果たすことに

特別な感情を抱くことは

滅多にないことです




稀に大好きな人から

プレゼントしてもらったとか

お金を貯めて手に入れたとか

親の形見としてもらったなど


その道具の背景に「誰か」が

介在していれば持ち物に対して

「思い入れ」を重ね合わせる

こともあるでしょうが




会社からの支給品であったり

どこで入手したのか

身元不明のボールペンなどは


使えることが当たり前

壊れてしまえば躊躇なく

ゴミ箱へ直行です(分別しますがね)




思い入れがあろうとなかろうと

もしもこうした道具たちに

魂が宿っているとしたらどうでしょう





日本には昔から「八百万の神」という

概念があってすべての「モノ」に

神が宿るとされてきました




この考え方は一概に

迷信扱いできず

すべての物質が

原子でできていて

原子は素粒子で構成されている

近年の物理学では

このように解明されています




人間をはじめとする生物も

目の前にあるコップも

元をたどれば同じもので

できていることになります





したがって動くものにだけ

魂が存在するというのは

こちら側の身勝手な発想であり




道具にも魂があると考えたほうが

現代物理学との整合性があるのです



自らが動いたり意思を示さず

ただひたすらに人間の役に立つこと


それだけを使命として

いま目の前に置かれている




形あるものはいずれ壊れるという

宿命を背負っています

私たちの命にも限りがあります


道具は壊れて

その機能を果たせなくなったとき

その魂が抜けて

死を迎えます




道具は単なる「モノ」ではなく

十分に感謝に値する存在です



グラスがなければ

おいしい水を飲むために

両手を使わなくてはなりません




漢字を覚えるためには

紙とペンが必要です




昔からトイレをきれいにすると

福が舞い込んでくるといいます




毎日排泄物を受け入れてくれる

これに感謝の念を抱かないのは

もったいないことです




すべての道具に対して

使う前に「今日もありがとう」

使った後にも

「役立ってくれてありがとう」




これを言えるようになれば

人に対しても

「すいません」でなく

きちんと感謝できるはずです





その感謝の言葉は

相手に伝えるばかりでなく

宇宙に向かって

投げかけているのですから




「ありがとう」の一言は

結局は自分のために

投げかけられているのですね





ここまでお読みいただき
ありがとうございます

あなたのもとに 素晴らしいことが

たくさん たくさん

降り注ぎますように




こちらにも自己啓発について違った視点で書いています

サポートしていただければ大変うれしいです もっともっと読み応えのある記事を執筆してまいります