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生成AIを授業で使うときに留意してきたことの備忘録

来年度で5年目を迎える中等部の「技術AI」授業では、今年度、革新的な生成AI、ChatGPTを授業に導入し、様々な教育的試みを行いました。ChatGPTはその驚異的な性能により、今年度の大学入学共通テストの5教科7科目を解かせた結果、受験生の平均点を上回るという結果も発表されています。このような強力なツールを授業に取り入れるにあたり、自分はその使い方と可能性を生徒に正確に伝えることの重要性を常日頃から強く感じていました。
これからの授業で、生成AIが持つ潜在的な可能性とそれに関連する誤解について生徒に深く理解してもらうため、自分が取り組んできた方法や経験を備忘録として書き留めたいと思います。

ハルシネーション・幻覚

自分が特に気を使ったことは、生成AIの「創作」能力を生徒たちに理解してもらうため、自分は「ハルシネーション」や「幻覚」といったマイナスのイメージを避け、「創造的な作り話」や「面白い作り話」 というような表現をなるべく使うことを心掛けたことです。(ちなみにTemperature、Top Pを下げるとハルシネーションは起きづらいのですが、これについては後日を解説しますね。)
この「創作」を直感的に理解してもらうために、画像生成AIの活用をしました。画像生成AIは、現実には存在しない幻想的な絵を描くことができます。例えば、女の子を描けと画像生成AIに指示すると下記の様な創造性あふれたイラストを生成します。

cute teenager girl, illustration

このような画像生成AIの能力に対して、人々は通常「創造性がある」「革新的だ」といった肯定的な言葉を使います。しかし、この肯定的な見方が、言語生成AIに移ると、しばしばマイナスのイメージに変わる傾向があることに気づきました。つまり、AIが生み出した言葉や文章に対しては、「嘘をついている」「幻覚を起こしている」といった否定的な言葉が用いられることがあります。
「画像と言語を一緒にするな!」と厳しい意見も教育AI有識者から言われるかもしれまんが、自分は非有識者連合なので勘弁してください(笑

創造性には幻覚も必要

さて、この現象に対して、自分は生徒たちと一緒に考える機会を持つようにに心掛けました。

「なぜ画像に対しては創造性を評価し、言語に対しては誤解を恐れるのか」

という議論を通じて、生徒たちはAIの技術をより深く、そして批判的も交えながらに理解することが出来たような気がします。このプロセスは、生徒たちにAIの能力だけでなく、私たち人間の思考や感情についても考えさせる良い機会となりました。
生徒の言葉を幾つかあげると
「創造性というのは、今までの常識を超えた新しいアイデア」
「生物の進化だって、イレギュラーつまり突然変異」
「ガリレオだって地動説唱えて有罪」
「新しい音楽だって・・・」
このように、「幻覚的」な思考や創造性は、新しいアイデアや概念、さらには新しい現実を生み出す源泉となるのではないか?自然界の進化も、科学技術の革新に至るまで、あらゆる創造的なプロセスにおいて見て取れる重要な要素であること、ハルシネーション・幻覚は決して悪いことではないということを生徒は考えさせられたのかもしれません。

重要なのは倫理観

ChatGPTのような生成AIを授業に取り入れることは、その驚異的な能力を生徒たちに示す絶好の機会ですが、同時に、AIの誤解や誤用を防ぐためには、倫理観の育成と構築が不可欠です。ただの厳格な規制や、生徒のAI使用ログの監視では、真の教育的効果は達成されません。これらの方法は表面的な管理に過ぎず、生徒たち自身の内発的な倫理観や理解を醸成することはないのではないかと考えます。
真の倫理観は、生徒たちが社会的・倫理的な意識を持ってAIを使用できるよう、指導し、育む過程で構築されます。このプロセスは、生徒たちが未来社会でAIと共生するための基礎を築く上で、決定的な要素です。この備忘録が、倫理観を重視したAI教育の重要性を強調し、私たちの学びと成長の軌跡をたどるための一助となればいいなと思ってます。

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