映画「WISH」について

結論から言おう!
最高の映画「WISH」

ディズニー創立100周年を迎えた2024年に製作された
映画「WISH」
3回見ましたが最高に面白かった!
今作は100周年のメモリアルな年に製作されたと言うことで期待度がものすごく上がっていました。
僕としてはその期待には、十分に応えたのではないかと思います。

今回は特にロサス王のマグニフィコについて書いてみます。
ネタバレと偏見を含む上に、映画を見てない方には分からない書き方をしますのでご了承ください。

テレビなんかでは
「最強のヴィランが、、、」なんて触れ込みで宣伝しておりましたが、
この物語に悪者は出てきていないと僕は思います!


往年のディズニー映画よろしく、おとぎ話の本を開くところから始まるWISH
おとぎ話はマグニフィコの功績をたたえている所から始まっています!
マグニフィコは、贅沢ではないけど家族と平和に暮らすという喜びを国民に提供しています。アーシャの暮らしぶりを見ればその様子が伺えますね。
そして多分、多額の税をかけている訳でもないと思います。

人々の願いを預かって
「いつか自分の願いを王様が叶えてくださる!」
と国民がマグニフィコ王に依存し、
願いや欲を絞ることによって生まれた平和な国!
物語が進むと分かりますが、その預かった願い事は使い方によっては強いエネルギーに変わります。でもマグニフィコはそれを自分の欲の為に使うわけではなかった!大切に守ろうとしていた!

ちょ〜良心的な独裁者とでも言いましょうか。
この状況を善とするか悪とするか。
ここは意見が分かれる所だと思います。

アーシャの答えは「悪」でした。
「冗談言っちゃ〜いけねぇ!」と憤慨する訳ですけど


でも思うんです。
アーシャとマグニフィコは同じ願いを持っています。

「みんなに幸せになってほしい」

本当にこれだけだと思うんですよ。
そのやり方が違うだけだと思うんですよね。

もちろんマグニフィコ王のやり方には
「願い事が変わったら?」「ダメなら自分でなんとかするから返して」
など少しずつ歪みが生じ始めていました。
彼自身、少し傲慢になりかけていた所もありましたし彼に落ち度がないとは言わない!

禁術に手を出したのは彼の弱さなのでしょう。
ただ、一国の王であり偉大な魔法使いが、夜中に空が少し明るくなっただけで
とんでもなく取り乱します。
それほどまでに彼には守るものが膨大で、
プレッシャーと闘いながら生きていました。
そう考えれば禁術に手を出してしまったのもしょうがないと言える気がするんです。

そして、禁術に取り憑かれたマグニフィコは邪悪な力で国民を押さえつけようとします。
その動機も「みんなに幸せになってほしい」というものです。
例えるならお父さんが娘に
「門限は10時だぞ!これはお前を守るためでもあるんだぞ!」
というものに近い気がします。
今まで通り、ロサス王である自分に依存しながら皆んなが幸せに生きていける世界を作ろうじゃないか!
そうマグニフィコは願います!

それに対してアーシャをはじめ国民は、
「いや!夢は自分で掴み取るべきなんだ!私たちに願いを返せ!」
と願います!

全ての登場人物が願っているのは
「みんな幸せになってほしい」

全員が同じ「願い」を持っているんだけど、
やり方の違いで揉めてしまうんですね。

映画のクライマックス!
国民の願いが邪悪な魔法に打ち勝つ!
そりゃそうだ!
人間の純粋な願いが不純な魔法に負けるわけではない!
これはマグニフィコが負けた訳ではなく、邪悪な魔法が負けたのです。
願いの力の偉大さと尊さと純粋さに思わず涙がこぼれてきます。

それと同時にこのシーンで思うのは
マグニフィコはどれほど悲しかったでしょうね。
自分はみんなの為にすっごい努力をして、沢山のものを犠牲にしてきたのに
なんで分かってくれないんだ!
どれほど悔しくて、どれほど悲しかったでしょう。
自分が積み上げてきたものが全て水の泡になってしまいます。

客観的に見てすごく可哀想ではありますけど、
世の中そんなもんだったりもしませんか。

いつも努力が報われる訳じゃないし
自分がやってきたものが一瞬で壊される時があります。
マグニフィコのことを思うと悲しくなりますけど
人間ってそうだし、世の中ってそんなものだって大人は知っちゃってます。

アーシャはこう歌います。

「空の星が呼ぶ方に 進もう自分を信じて
何が起きても恐れず 乗り越えると誓うわ」


おとぎ話の中の少しのリアリティ。
願いと願いがすれ違う。
世界は美しいと願いたい。
何が起きても恐れず 乗り越えていきましょう

というオチの無いお話で
お後がよろしいようで。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?