けんか

今日は両親と言い合いをした。酒が入っていたからというのもあるが、僕は腹の内をぶちまけた。社会に向いてないと思うことや働いてまで生きる意味がわからないことを勇気を出して話した。しかし思ったように会話は進まなかった。

社会に向いてないことを話したときは「何もしてないのに」と言われた。それはその通りで、僕は社会に関わることを何もしていなかった。だけど、それで納得してじゃあいいやと諦めで解決することはなかった。何もしていないことなど既に自分で理解していた。

言われること全て自分の中で理解していた。理解した上での悩みだった。みんな悩むことくらい知っている。みんな悩むからといって気楽になることも悩みが晴れることもなかった。心配して言ってくれていたが、そのこと全て刺さらなかった。だから、ひたすら反論し続けた。

両親の心配する気持ちが鬱陶しくなって、つい「鬱陶しい、余計なお世話」と言ってしまった。母親が「なめてるのか」と苛立ちを露にした。父親が「そういう時期だ」とフォローにならないフォローをする。僕は母親が反抗的な態度が気に入らないだけなんだと察した。

何言っても反論されるだけで無駄だと思ったのだろう。でもなんで反論されるのか考えようとはしなかったらしい。自分達を棚に上げて、僕が一方的に切り捨てているんだと言いたいのは、親の言うことに従わず気に入らないからだろう。

やりたいようにやればいい、楽しく暮らしてほしいという割には一方的に押し付けているように感じた。僕が「ハイ、そうですね」と言っていれば、こんな衝突はなかったはずだ。でも納得いかないから肯定するわけにはいかない。貴方達の子供と言えど従順なわけではないんだ。

じゃあ何を望んでいるのかといえば、僕はただ今の自分を認めてほしかっただけなのかもしれない。今のままでいいんだよ、という言葉がほしかったんだと思う。人生つまらなそうな僕を肯定してほしかった。それだけでよかったのに偉そうに講釈垂れてくる。

親は子供を選べないし、子供も親を選べない。今回の言い合いは双方共に原因があると思っている。しかし母親は気に入らないと思っているだろう。それをきっと自覚していない、もしくは隠している。酒で頭が回らないのでここまでとする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?