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のぼ〜る広報のイチオシ〜埼玉西武ライオンズ野手編〜

 本記事の筆者・のぼ〜る広報が、各チームのイチオシ投手と野手を1人ずつ紹介シリーズ、題して「のぼ〜る広報のイチオシ」。曜日は具体的に決めていませんが、随時更新していくシリーズものとなりますので、投稿した際は気にかけてくださると幸いです。第10回は、育成から這い上がってきた獅子の子兵・滝澤夏央選手です。

滝澤選手ってどんな人?(成績)

 2003年8月13日に新潟県上越市で生まれた滝澤選手は、身長164センチ体重65キロと、身長は球界で最も低く、体重は球界で2番目(支配下選手から1位タイ)に軽いです。
 関根学園高校時代には1年夏からすでにセカンドでレギュラーを張っており、翌2年の秋には北信越大会で4強に入りました。3年の春には準優勝、夏には準々決勝敗退と毎大会良いところまでは行けども、地区大会優勝の経験はありませんでした。しかし50メートル走5秒8の俊足を活かした広大な守備範囲が西武スカウトなどの目に留まり、21年の育成ドラフトにて2位で入団。すると22年のシーズンが始まってからわずか2ヶ月足らずの5月13日に支配下に昇格、1軍登録を果たしました。自打球による捻挫で登録を抹消されていた源田壮亮選手の代役としてその日の楽天戦にスタメン出場すると、早速自慢の俊足で内野安打をもぎ取り、プロ初安打をマークしました。そしてシーズンが終了。最終的に48試合に出場し、打率.224。打撃には課題が残ったものの、源田選手の穴を十二分に埋める守備力を見せ、チームのAクラス入りに貢献しました。23年は、外崎・源田両選手の二遊間に割って入る活躍を見せてほしいですね。

滝澤選手ってどんな人?(エピソード)

 滝澤選手は、身長が164センチと一般の男性の中でも小柄と言えるかもしれません。ですが、滝澤選手には"スピード"という身長の低さを感じさせない強大な武器があります。さらに、滝澤選手の幼馴染・矢坂さんによると彼には幼少期から独特の「野球勘」が備わっているそう。持ち出したのは、1軍初出場を果たした翌日14日の楽天戦のこと。相手投手・安樂智大選手から同点のスリーベースを放った直後、滝澤選手は暴投で三塁からホームインを果たした時のこと。このプレーについて、

「あのときのスタート、メチャクチャ早かったじゃないですか。あの野球勘は幼い頃から変わっていないと思ったんですよ。『行ける』という判断云々ではなく、気付いたら走っていたような。当時からスキがあれば次の塁を狙いますし、『何でそんなプレーできるの?』というのを普通にやっていましたからね」
文春オンライン 6月10日の記事より一部抜粋

 と語りました。言葉には表せない勘と、次の塁を陥れようとする積極性と、失敗を恐れない走塁意識が滝澤選手を滝澤選手たらしめているということなのでしょうか。他の試合でも代走起用から減速なしで本塁を陥れるなど足で魅せていた滝澤選手。源田選手も足の速さが1つの武器ではありますが、走塁などの場面では滝澤選手に軍配が上がるのではないでしょうか。身長が低くてもやっていけるんだぞということを示したいと言う滝澤選手。源田選手という巨大な壁がありますが、ショートのレギュラーを奪取してもらいたいです。

滝澤選手のここがイチオシ!

 筆者が滝澤選手の推している部分は、

ボテボテの打球でも諦めずに最後まで諦めずに駆け抜ける走塁スタイル

 です。代表的なのは、4月23日にファームで行われた巨人戦。相手投手・戸田懐生選手から放った打球は叩きつけたファーストゴロになります。ファーストの廣岡大志選手が2バウンド後に補給し戸田選手にパス。しかし滝澤選手は戸田選手との競争に走り勝ち内野安打となりました。非力だからこそ、粘っこくヒットをもぎ取る滝澤選手の打撃・スタイルには野球をしてようが、していまいが我々も学ぶところがあるような気がします。

 以上が、滝澤選手の紹介でした。一時は身長が低くてプロでやっていけるかどうか不安だったそうですが、周りからの後押しもありプロ入りを決意した滝澤選手。その努力と能力が認められ、1軍でも侍ジャパン入りした名選手の穴を見事に埋める活躍をして見せました。23年も1軍の舞台で魅せ、子供達の憧れの存在になってほしいです。
 最後までお読みいただきありがとうございました。

出典

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