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のぼ〜る広報のイチオシ〜中日ドラゴンズ投手編〜

 本記事の筆者・のぼ〜る広報が、各チームのイチオシ投手と野手を1人ずつ紹介シリーズ、題して「のぼ〜る広報のイチオシ」。曜日は具体的に決めていませんが、随時更新していくシリーズものとなりますので、投稿した際は気にかけてくださると幸いです。第23回は、小さな身体でもスケールは無限大、竜の豆タンク・山本拓実選手です。

山本選手ってどんな人?(成績)

 2000年1月31日に兵庫県宝塚市で生まれた山本選手は、身長167センチ体重80キロ(Wikipedia情報)と身長の高さはプロではワースト2位タイの低さですが、それを感じさせない投げっぷりをしています。
 地元である私立西宮高校では2年夏の県大会初戦でノーヒットノーランを達成し各方面のスカウトから注目を集めると、2年秋からエースナンバーを背負いました。最高成績は3年春と3年夏に県ベスト8まで進んだものの、どちらも名門・報徳学園に惜敗したことで甲子園出場はありませんでしたが、150キロ近いストレートを投げる本格派右腕としての実力を買われ、2017年ドラフトで中日に6位で指名されました。
 一軍で多くの機会をもらえたのは2年目の19年。主に先発として9試合に登板し、7月31日の阪神戦で6回を1失点に抑えプロ初勝利。結果的に3勝を記録し防御率は2.98。ここだけ見ると十分な成績を残しているように見えますが、四死球は24個で1試合2〜3個ペース。四球を出しまくって自滅するケースも見られたため、制球力の改善が急務でした。
 20年、21年はコントロールこそいくらか改善されましたが、甘く入った球を通出されるケースが増えむしろ防御率は悪化。なかなか一軍に定着できない日々が続きました。
 しかし、22年に転機が。監督が与田剛氏から立浪和義監督へと交代し、そのタイミングで山本選手は中継ぎに転向。シュートを新たに習得したことで投球の幅を広げてシーズンに臨みました。すると、少ないイニングをガンガン投げるスタイルが合っていたのか、30試合に登板して防御率は3.60。四死球も1試合に何個も出すようなことは少なくなりました。しかし夏場に失速、7月初頭には右肩の違和感で登録を抹消されました。23年は1年間完走する、長期的なスタミナを身につけることが課題になりそうです。

山本選手ってどんな人?(エピソード)

 元々食が細かったという山本選手。今現在でこそ80キロはありますが、入団当時は70キロ前後。なんとか体重を増やして球速を増やそうと、高校時代は「食べること」を頑張っていたそうです。その内容が、
・体重が1キロ増えたら球速も1キロ上がるという目論見で始めた
・毎食白ごはんを最低でも800グラム食べる
・いける時は1キロ食べる
 というものです。毎日ではなく、"毎食"1キロなので、否応なしに体つきは変わってきますよね。そうした努力があったおかげで高校の間に増えた体重は25キロ。逆算すると高校時代は体重が45キロほどだったということですね。
 そんな山本選手、プロでもらった初任給で両親に買ったものがあり、それはなんと「実家のインターホン」だったそうです。というのも、小さい頃から自宅の玄関を使って壁当てをしていたという山本選手ですが、ある時に誤ってインターホンにボールをぶつけてしまい、それ以来実家のインターホンが壊れたままだったそう。自分が壊してしまったものだから、いつか自分が稼いだお金で直そうと思っていたのでしょうね。とても微笑ましいエピソードです。

山本選手のここがイチオシ!

 筆者の山本選手の推している部分は、

身長が低くたって155キロを出せる馬力の高さ

 です。高校1年生で投手に転校したという山本選手でしたが、転向当時のストレートは120キロ台だった模様。しかし、在学中の食トレにより25キロ体重を増やし、球速も25キロ増。身長こそ170センチに届いていないものの、威力十分の直球は最速154キロ。1球1球全力で投げている感じがして、筆者のとても好きなタイプのピッチャーです。ピンチを抑えると雄叫びを上げるなど闘志溢れるピッチングを見せる山本選手には、23年はセットアッパーを担ってもらいたいですね。

 以上が、山本選手の紹介でした。大柄でなくとも160キロを狙うことができる無限の可能性を秘めた山本選手は、すでにマウンド上で風格さえ漂わせています。強力な投手王国を築く中日で、抑えのライデル・マルティネス選手に繋ぐ砦として活躍してほしいですね。
 最後までお読みいただきありがとうございました。

出典

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