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2020/10/05

隠し事があるとき人は言葉少なくなり、他人からは浅はかに映るような気がする。
言えないことがあるからだ。
言えないことがあるとどこまでを言語化して良いか線引きができなくなる。そのうち言語化を怠り始め、それが板につく。
果ては嘘と本当の境界が自分でも判断ができなくなる。
それは不幸だろうか。
それは不幸ではない。選択である。
ただその間にも、判断ができなくなっている自分にある他人は判断を下している。
それは少し不幸に傾くのかもしれない。
幸か不幸かで結論を急ぐことそのものが愚問なのかもしれない。

「どこで間違ったのだろうか」と自問自答する。そこにあるのは間違いではなく、後悔なのに。

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