父の死から30年、父と同い年になった

46歳になった。

ここ数年、自分が何歳になったのかあやふやなときが何度もあって1,2歳間違えていた。今年は改めてちゃんと計算したら46歳。そのときふと、そういえば父が亡くなったのは46歳だったようなと思い出す。計算したら46歳で、もう30年経つのねと母の言葉で月日を認識した。

身構えていた節目が2つあった。1つ目は、亡くなってから16年経ったとき。父と一緒に過ごした月日よりもいない月日が長くなることが悲しかった。2つ目は父を同い年になること。いつか来るこの日がなんだか怖かった。でもいざ来てみたら怖さはなく、お父さん、私と同じ歳のときに子ども2人もいてスゲーだった。

4月は私の誕生日があって、父の命日がある。
同い年になってしまっただけでなく、私が生まれたとき父は30歳で2児の父親で、46歳のときには19歳と16歳の子どもがいたことに初めて気付かされた。今まで一度も考えが及ばなかったことに驚き、そのきっかけは年齢であることは間違いないけれどそれだけではない。亡くなった悲しみや辛さだけに包まれていた父を、一人の人としてはっきりと見えるようになったからではないか。

父は私の誕生日の次の日に自ら命を断った。それからは辛い日々だった。果てしなく続く悲しみや辛さ、夜眠れないから朝が起きられない。遅刻や欠席が増え仕事は長続きしない。命日が近づくと何の気力もなくなり虚無感に襲われる毎日。何をどう人に話していいのか分からず、辛いとき誰かが電話をかけてきてくれないかと願い、助けてくれと布団の中で号泣した。そういった状況になる頻度は年々少なくなったけど決して消えることはなく、30歳中頃で飽和状態となり、何もかもが嫌になって仕事を放りだし、ほとんどの人と人と連絡を絶ち姿を消すほどに自暴自棄になっていた。

あれからいろいろなことがあってほんと辛かったし、今でも泣いてしまうこともあるけれどでも20数年の月日を経て、折り合いをつけることができた。あのとき投げ出した仕事は今の職場でもあって、兄が亡くなったときにもお世話になったからその恩をこれからも返していけたらと思うし、音信不通になっていた私を待っていてくれた友だちたちとも数年前に再会もできた。まだまだ先は続くだろうけど、悪くない人生だと思う。

今朝読んでいた本の中でこんな文章があった。

「幸福ですか?」スフィンクスは問いかける。まだら模様の体を揺すって、水門の前でムフフと笑っている。「あなた、幸せですか?」  おお、旅人の行く手を塞ぐ、古代の怪物よ。

『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』東畑開人著

はい、幸福です。と1度目読んだときは素通りしてしまったこの言葉に何故だか自信満々に心のなかで答えた。
今日はいろいろ思うことが多くて、その都度書き留めていた。多分今日にしか書けないことがあるからと、久しぶりに長文を書き始めた次第。

読み直したらとてもあっさりしていて(そう見える)ここまで書くのにどれだけ涙を堪えたことか。でもそうやって今まで何年も文章を書いてきて、その積み重ねが今の私を作っている。ちゃんと折り合いがつけられたのは、感じている思いをできる限り適切な言葉で表現できるよう考えに考えて言語化し表に出し消化していったからだ。

全部は出せなかったようにも思うけど書けてよかった。





最後まで読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートをどのように活用できるかまだわからないです・・・。決まるまで置いておこうと思います。