「不要な消費、不要な生産」という最近の思考テーマ。「余裕がある、他者への許容性が高い社会にならないかな」と思う

カネを配ることで、不要な消費、不要な生産というのは減らせるのでは?という問い。消費社会をアップデートさせた方がいいのでは?と最近思っている。不要な消費と不要な生産のために、不要な仕事が生み出されている現状がある。一度、これらを整理することが必要ではないのか?

そして、今はコロナ禍ということもあり、カネを配り易い状況にある。個人的にはベーシックインカムが良いと思うが、これが難色を示すのであれば、生活保護の支給水準をほぼ無条件にすれば良い。こうすると、生活保護で暮らすか、今の仕事を続けるかの選択ができるようになる。上手くいくと、デヴィッド・グレーバーのいう、「ブルシット・ジョブ(クソ仕事)」を減らすことができるかもしれない。

生活保護、あるいはベーシックインカムって、「皆と同じがいい」という日本人の国民性には意外と馴染むと思うんだよね。貧乏かもしれないけど、皆、貧乏だからいい、自分も貧乏でいっかな、みたいな。貧乏というとネガティブなので、そこそこの生活でいっかな、というメンタリティ。むしろ今が格差が問題になっていて、富裕層や芸能人への風当たりが強くなりすぎている。これがさらに過剰になりすぎた結果が、コロナ感染者や特定業種を吊るし上げる等の異常なまでの風当たりの強さ、社会的な圧力に繋がっている。この結果として、コロナ感染者からは自殺者もでてしまっている。

他人に羨ましがられるための消費活動。ここに価値はあるのだろうか?これが豊かな生活に繋がるのだろうか?というのがここ最近、思考していること。消費が伸びることでの豊かさか、貧困や子どもの虐待、教育格差、自殺者の増加、高齢者の介護・医療等の現在、問題と捉えられている、社会の問題を解決することでの真の豊かさか。

GDPの数値だけな成長を追うのではなく、真に社会を豊かにするための、真の社会問題を解決することに資源を集中するのが良いのではないだろうか?

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