共生を考える

今、人類はCOVID-19により、生活が荒らされている。このようにCOVID-19を敵と見なすような意見がSNS等、人類のコミュニケーションの場には頻繁に表れる。これは人類の立場から見れば、生活が破壊されたり、大切な人の命が奪われたりしているから、当然の反応だと思う。しかし、これは人類が特別であるとの見方であって、地球という大きな枠組みから見たら、人類も一生命体に過ぎない。

そもそも科学技術の発達によって、現代の先進国では「死」は日常では数の概念でしかない。普段の生活で、死に向き合うことは極めて少なく、ニュースや報告書等で死者が数として目にするが、そこにリアリティはない。なので生まれる子供もすぐに死んでしまうとは想像ができないし(したくない)、自分自身だって80代ぐらいまでは生きると漠然と思っている。このような日々の中だったからこそ、COVID-19は世界で、特に先進国において大きな爪痕を残している。ウイルスは人類を同一の生物だとみなし、私たちに感染する。資産や権力のような人類が創り出した虚構には一切忖度せず、生物として向き合ってくる。そして、ワクチンや特効薬がない今は、感染してしまえば、ある一定の確率で重篤化し、場合によっては死亡する。加えて、高度に発達した情報化社会が、COVID-19の恐怖、死者数を瞬時に、世界中の人々に届け、人々の恐怖を増幅させる。COVID-19が20年前であったなら、ここまで騒がれることはなかったし、先進国の人々は死の恐怖に直面することはなかっただろう。死を身近に感じることができるようになったは、情報化社会の発展のおかげでもある(良いか、悪いかは別にして)。

人生100年時代、とのキーワードが飛び交っていたBefore COVID-19の世界が懐かしい。我々はまたしても虚構として、人生100年時代を思い描いていた。Before COVID-19では、多くの資産や、老年になっても稼ぐことができるような生涯学ぶことの重要性が説かれていたが、虚構が崩れると、これらにそこまで重要な意味はあったのか?と立ち止まって考えさせられる。確かに、リスクヘッジとしての資産形成やスキル習得は大事であるが、未来に目を向けすぎるのもどうかと。人類には未来は必ずあるので、次世代により良い未来を残せるように最大限の策を講じるべきである。一方で、人間個人としての未来はとても不確定で明日には未来がない(死んでいる)かもしれない。人間個人で考えた場合、「今」を如何に生きるかが重要になってくる。ただし、「自分だけ良ければ、他人なんてどうでもいい」なんて、なげやりや自分勝手な思考ではなく、社会との調和を取りながらの「今を生きる」ことの重要性。身近にいる仲間、家族、恋人を思いやり、大切に思う気持ち。「明日もまた会えるから、今日じゃなくていいや」ではなく、伝えたい感謝の気持ちは今伝える。「明日やればいいや」ではなく、やりたいと思うことは今日やる。自分自身はこういった生活の中での基本的なことにきちんと向き合えていたかと思うと、そうではないなと思う。

人類同士、支えあっていくような共生が必要であるし、自然との共生も必要である。そして、人類の脅威になり得るウイルスとの共生も必要である。我々人類は地球上の色々なモノと共生をしながら生きてきたし、これからも生きていく。人類に負の影響を与えるものは、根絶したいと思うが、今回のCOVID-19の今わかっている特徴から考えると難しいと思う。ウイルスとはそもそもそういうものなのだ。だからこそ、私の場合、「今」にもう少しウエイトを持ってきて、「今」を充実させることが、自分個人としての良い未来に繋がると思っている。

With COVID-19、after COVID-19、post COVID-19と、様々な世界が議論されている。人間の適応能力は半端ないので、きっと適応できてしまうだろう。人類の未来で考えた場合、未来は明るい。いや、明るい未来にするのが我々の役目である。様々なモノと共生できるシステムを構築する時代に生きていられることが嬉しい。

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