社会を揺るがす大事件の後に早く立ち直ろうとして、つくろって生きると人間性の破壊につながる

アメリカの911、日本の311の後からそれぞれなにか社会がゆっくり崩れつつあるような感覚がある。
チェルノブイリの後もそうだった。でもそれは偶然かもしれない。

偶然かもしれないが、歴史に残るような大事件、大災害のあと、少しずつ日常がおかしくなる。

その理由がなんとなくわかったような気がする。誰も元の社会を早く復元し忌まわしいことを感じたくない、そのこと聞きたくない、なかったことにしたいと思うがあまり、つくろって生きてしまった。

悲しみや怒りの感状は大人が出すべきものではないと常識にしてしまえば、本当は悲しいしやりきれない、絶対だと信じていたことが脆くも崩れ去ったことに対する心の整理が必要なのにそれができない。

しかし社会にトラウマ的出来事が怒ったときに十分に怒りや悲しみの喪の期間を設けてなければかえって悲しめなかった思いや無念をひきずったままとなる。

消化不良になっている。
だから次の食べ物も美味しく食べられないし、心から食べることを楽しめない。
生きることもふざけ半分。
オリンピックなどでは解決しないのに本当の問題と向き合っていない。

そうしているうちに元気が消えて無関心無気力が蔓延し誰も前向きに頑張ることなどできなくなり、ゆっくりと地盤沈下していく。


アメリカは消化不良のまま攻撃に出て解決したようなふりをした。日本は無理に頑張ろう!と “前向き” をやってしまい、知らず知らずの間に消化不良のまま。

つくろうことなどいざとなればなんの意味もない。人は時につくろいすぎて、本当の感情がわからなくなり、何が問題なのか、なんなのかがわからなくなる。空回り。

メディアももう大きな事件を取り上げない。
今回のこともそうだ。
そしてそのままジタバタするもんだから、ますます空回り。

おそらく昔からの儀式を大事に残してる民族は大事件のあと何かしているのではないか?成人式など人間にはそのような形が必要なのだ。でなければ気持ちが収まらないんだ。
文化人類学はどうなのか?

科学は大抵のことを万能にしたが人の心だけはままならない。語ることを許さずすぐに罪悪感のために吐き出すことを禁じさせれば少しずつ狂う。その少しずつが怖い。
問題がなんなのか気持ちに蓋をしたため気がつかないから。
ギクシャクする夫婦みたいだ。
ギクシャクした夫婦はどう問題を解決するのか。責任問題を問いつめるのではなく本音を話し合うことが必要じゃないのか?
どうせ責任なんかとれやしない。
失った命に土地にどうやって責任なんかとれるのか。

社会が抱えたショックをあまりに軽視したままどこへ行けると思うのか。何ができると思うのか?

なんとなくおかしいという時は心に未解決の問題があるときです 加藤諦三


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