自分の強固なプライドを譲れない人は他人の意見など聞けない
意見は結局自分の価値観だからだ。
他人と意見をぶつけ合うことで何か新しい知識がうまれる、の前にまずその人が自分のプライドを曲げてでも他人の話を聞けるかという基本姿勢がなければ、話し合いなんて言い負かしあい、お前が間違ってるのやりあいにしかならない。
だから今もこうしつこく他人に絡んでるけどその姿勢を改めない人に何が議論ができるか?
他人の意見を受け入れるとはそれを受け入れ自分の価値観を再点検することだ。
それが議論や話し合いだ。
最初から自分の価値観の見直しをする気がないか、できない人間にはまず話し合いの前に精神の成熟がなければならない。
それは自分の弱いところを自分で受け止め、自分という不完全な存在を認めることだ。
今やってるのは強要。
俺は正しいから絶対こうしなければいけない!と言い張っている。姿勢を変えないその頑なさが議論ができない証拠だ。
文章でいくらでも主張ができるのにそれを試みないのはなぜだ?
ずーっと他人の嫌がることを尊厳を棄損し、多様性の大義名分のもとに自分の思うとおりにならない他人を罰し続けその姿勢は誰もが知るところとなって誰も恐ろしくて異論など言えない!
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