禁煙と傍聴と自己肯定感と承認欲求

禁煙が続いてるだけで自己肯定感が高まる。

喫煙は自分の寿命をジリジリ燃やす感じがするので好きだ。
吸えるなら何本でも吸いたい。
だが、金銭的な面、肌荒れ面で今は辞めてみている。
多分ストレスがまた降りかかってきたら吸い始めるだろうけど、
逆に考えると、禁煙ができている今は心に余裕があるということになる。
その状態がとても嬉しい。


今までは誉めてくれる人がいないときは禁煙しなかった。
誉めてくれる人は、主に友達だ。
わたしは男に、「女だから吸うな」と言われることが心底嫌いだ。
そう言われると「女だからこそ吸ってやる」とむしろ躍起になって相手に煙を吐きつける。
わたしの友人は、本気でわたしの身体面を心配してくれるため禁煙しようかなという気になる。
だか友人に会って数日経てば禁煙は終わる。
相手がすごいと評価をくれる間だけ、頑張れる。
つまりわたしの禁煙の原動力は承認欲求であった。

承認欲求は、人生において必要ないもののようだ。
わたしは人に嫌われないという点においてハンパのない承認欲求を発揮していたが、
嫌われない態度は、結局は、
「わたしのことをよく思って欲しい」という相手への押し付けであるといえる。

過去と他人は変えられない
、はわたしの人生教訓だが、
相手にわたしのことをよく思って欲しいと願うことはいいとして、
実際に相手がどう思うかは、わたしは決めることはできない。
つまり、人に嫌われないようにすることは、
相手に「わたしをよく評価しろ」「わたしを好きになれ」「わたしを嫌うな」と押し付けているだけであり、とても自分本位なことなのである。

今の禁煙は、
わたし自身がわたしに課したルールを、わたしが守り続けていて、それを認めることができている。
つまり自己肯定感駆動で続けられている。
喫煙に関しては、一般に悪いことと思われることが多いため考えやすいが、
他の事象についても承認欲求と自己肯定感は同じである。


わたしは、働けていないことがすごく苦しいが、
わたしがどんなに今苦しんだり頑張ったりしていたとして、
ある一定の他人からは性被害に理解が得られないはずだし、わたしが働いているか働いてないかなんて全く興味のない他人もいる。
わたしに同情する他人もいるだろうし、中にはわたしより感情的になる他人もいるかもしれない。

先日初めての性被害事件の傍聴に行った。2つ聴いた。
加害男性は例外なく気持ち悪くてみんな死ねばいいと思った一方で、
わたしは性被害者で抵抗できない感じとか、行為中の男性への恐怖、歳上・立場が上の相手への強く言えない感じ、
全部よくわかったしわかっているはずなのに、
被害者側ももう少し気をつければよかったのに、と思ってしまった。
わたしはそう思ってしまったことが本当にショックで、
だってそれはわたしが事件直後に1番言われたくなかった言葉だった。
でも思ってしまった。
もちろん加害者が100%悪いことに変わりはない。
どんなに女性側に隙があったとしても同意がなければそういう行為はしてはならない。
でも思ってしまった、最悪だ。

学んだのは、
どんなに同じ状況に遭ったことのある人でもそういうふうに考えてしまうこともあるということと、
先入観的な、とてもとても悪く言えば「女に隙があるのも悪いんじゃない」という気持ち悪い考え方が、わたしに染み付いているということだ。

前者は、
他人が自分をどう思うかは他人それぞれということ
(1割には嫌われていて2割には好かれていてその他は無関心だ、みたいな感じと同じ。何したってネガティブに思う他人はいるし、ポジティブもいるし、無関心もいる。)に繋がった。
だから、わたしは全員の承認を得て、
「わたしは可哀想なんです!頑張ってるんです!辛いんです!」と証明する必要はない。
これはつまり、一定数から嫌われることを受け入れるということだ。
もう本当に長い時間をかけて、最近ようやく分かりかけてきた。

後者は、未来のわたしへの課題だ。
わたしは性被害に遭っても立ち直らなければならない。
性被害は絶対にあってはいけない。
気持ちの悪い先入観や、性的な女性軽視、こういうのを無くさなければならない。

共同体感覚、というのをご存知だろうか。
あるコミュニティ(家族とか職場とか地域とか)において、「わたしはその一員なのだ!」という感覚を持っている状態のことだ。
必ずしもその感覚を持つべきである、とは言わないし思わないが、
信頼できると自分が判断したコミュニティの中では、その人たちのために何かを成し遂げたいと思えるそうだ。
わたしは家族や職場の人を信頼していないのでこの感覚はないが、
友人や、このnoteで繋がっている人、性被害にあった全ての人に対しこの感覚を持っている。
特に性被害者に対しては、見返りなんてなくても私たちが楽になるために何かをできればいいと強く思う。

わたしは、少しだけ先に今立ち上がれてて余力があるわたしは、
性被害者が加害者に負けないために踏ん張らないといけない。
傍聴での感想は、自分への戒めとなった。


頑張る、とは言えないが、頑張りたい気持ち。
「頑張る」「頑張れ」に代わる、もうすこし緩やかな勇気が出る言葉ってないのかな。
これも探してみる。

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