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三国志13 蜀志劉備伝 #8

南皮城防衛戦

184年9月

 南皮城攻略戦の勝利の余韻に浸る間もなく、黄巾の騎馬隊迫るとの一報は劉備勢に一応の動揺を与えた。しかし、劉備の的確な指示により、攻略時に破壊した城門を昼夜を徹して修理した結果、ある程度の耐久力を取り戻すことができ、軍中に安堵感をもたらしていた。

 「敵が騎馬隊ならば城攻めには不向き、我が方が優勢でしょう」

 関羽は的確に彼我の情勢を把握していた。

 「我が隊に連戦による将兵の疲労と傷病者が増えている、暫し英気を養う程の休息がとれるとよいのだが」

 劉備は将兵の疲労を案じて、その対策に悩んでいた。

 「兄者ぁ、俺の隊はほぼ無傷だぜ、数日間なら俺に任せろや」

 軍中の軽傷者は劉備隊の七百五十名、関羽隊の千三百名、呉巨隊の二千二百六十名に比べると、確かに張飛隊は軽傷者が六十名ほどで出陣前に預けた五千人がほぼ保たれており、すぐにでも戦える状態だった。

 「それでは今回の先鋒は翼徳に頼むとするか」

 張飛は勇んで出陣の準備に陣幕を飛び出していった。

 南皮城南の城門は破壊を免れており、北進してくる敵騎馬隊がここに目標を定めるならば破られる恐れは全く無かった。

 一方、北方に通じる城門は南皮城制圧時に劉備達が打ち壊した。急いで修理はしたものの、まだ耐久力が一割戻った程度で、集中攻撃には一抹の不安がある。敵の偵察が行われる前に、外見で脆いと見えないよう偽装はさせていた。

 9月2日、黄巾党の『張燕』率いる騎馬兵約七千が城外南方に集結。ここに南皮城防衛戦の戦端が開かれたのであった。

 「雲長、張燕とは如何なる人物であろうか」

 城壁の上から敵部隊の動きを注視しながら、劉備が敵将について関羽に問うた。

 「兄者、降伏した黄巾の兵が知っているやもしれませぬ」

 関羽はすぐに一人の降兵を連れてくると、『張燕』について知っていることを話させた。

 『張燕』は元々『黒山賊』の頭目で、黄巾の乱に乗じて黄巾軍に呼応し、一軍を率いるまでになったという。武勇に優れ、その進軍の迅速さ故に飛燕と渾名されてるという。騎馬隊の扱いに長けており、南皮の南西の都城『甘陵』を支配下にして、周辺の都城『平原』などで掠奪の限りを尽くし、悪鬼の如く恐れられているとのこと。

 「何と、張燕とはそのような賊将であったか」

 表情には出ていなかったが、劉備の正義感が燃えあがっているのを関羽は感じ取った。

 「兄者、俺が張燕を懲らしめてやりましょう」

 関羽の鳳眼は城壁の上から『張燕』の騎馬隊の動きを鋭く見据えていた。

 9月6日、敵将『張燕』は南皮城の弱点には気付かなかったようで、手始めに城外にある陣地の攻略に取りかかった。陥落させれば守備側である劉備勢の士気を削ぐことができる。攻城兵器の用意がない寡兵の騎馬隊で出来ることでは最善のー手であった。

 さて、張飛は五千の兵とともに、南の城門前に待機して、敵将『張燕』の騎馬隊七千を牽制していた。味方の将兵が数日英気を養える時間稼ぎと、弱点の北側の城門に近寄らせないように。どうやら幸いにも二つの目的は達成される見込みである。

 9月7日、十分な休息を取ることが出来た劉備率いる弓隊四千七百は、戦場に到着すると敵騎馬隊目掛けて矢の雨を降らせた。

 9月10日、続いて関羽隊も劉備隊、張飛隊に合流、三隊の軽傷者二千も完全に復帰して兵力は一万四千となり、敵将『張燕』の騎馬部隊の倍に膨れ上がった。劉備、関羽、張飛の三隊は三方から敵部隊の包囲殲滅を開始した。

 「悪鬼張燕何処にありや、天に成り代わり、関雲長が天罰を下さん」

 ここで味方優勢と判断した関羽は敵部隊深く斬り込んで、騎馬兵を馬ごと斬り殺す神業を見せつけながら敵将めがけて突き進む。

 「両手を斬り落とし、死ぬまで馬で引きずり廻してやるょ」

 敵将『張燕』は関羽の挑戦に自信満々で応じて威嚇してきた。

 関羽と敵将『張燕』は騎馬を趨らせ、物凄い勢いで激突。関羽の斬撃は鞍上から軽々と『張燕』を吹き飛ばし、『張燕』は何が起きたか分からないといった様子で近くの部下を引きずり降ろして馬を奪い逃げ出した。

 「張燕、何という逃げ足の早さよ」

 一騎討ちは関羽の大勝、敵の士気は大きく削がれた。

 9月11日、敵将『張燕』の騎馬隊は恐慌状態に陥り、収拾がつかない状況となった。

 その頃、敵将『高昇』、副将『鍾繇』率いる『鉅鹿』黄巾軍の援軍一万千が南皮城外に到着。

 窮地に陥っている味方の救援に急ぐ黄巾の援軍だったが時既に遅かった。

 「もはやこれまで、一旦退く」

 9月12日、敵将『張燕』は一人血路を開いて包囲網を突破し、疾風さながらに消え去った。指揮官を失った部隊に戦闘能力はもはやない。黄巾の騎馬隊七千は壊滅し、逃げ散っていった。

 「劉備様より火急の命令です、北方に所属不明の騎馬隊が接近中、関将軍、張将軍は本陣に帰還し絶対に討って出てはならぬとの事」

 伝令はそう伝えるとすぐに劉備隊に戻っていった。

 9月13日、劉備隊は敵副将『鍾繇』の弓兵五千五百と交戦を開始。関羽と張飛の部隊九千は下知に従い城内の本陣に帰還を始めた。

 「雲長と翼徳はいったいどうしたのだ」

 劉備は突然城内に引き返す二隊の動きを訝しむ。さては敵将に謀られたか。急遽二隊に戦線へ復帰するよう劉備は伝令を放った。

 9月14日、敵副将『鍾繇』の『偽報扇動』の計によって関羽隊、張飛隊はまんまと騙されて城内の本陣への帰陣を進める羽目になり、劉備隊との距離が広がっていいった。
 その結果、兵力で半分の劣勢、敵二部隊の間に取り残される不利な形勢となった劉備隊四千五百を救ったのは、呉巨率いる騎馬隊の猛突撃であった。
 呉巨隊は軽傷者が二千を超していたが10日間の休息で全快、気力十分となったので、北門から迂回して奇襲の機会を窺っていたのだ。

 「兄者、面目次第もありませぬ」

 「兄者ぁすまねぇ、借りは蛇矛で返すからよ」

 騙されたと知った関羽、張飛のニ部隊は急いで取って返し劉備勢は総勢一万八千と圧倒的優勢になった。

 「張角は既に討死した、勝つのは我らだ」

 劉備の大義の采配が全軍の士気を大いに高め、全ての将兵はこの戦の勝利を確信した。

 9月16日、敵副将『鍾繇』の弓隊五千五百は壊滅、『鍾繇』は撤退も鮮やかだった。

 9月18日、敵将『高昇』の槍兵六千と交戦開始。
 同時刻、本陣に味方騎兵隊約四千が到着。『張挙』、『簡雍』が敵増援を察知して『中山』から駆けつけてくれたのだった。
 

 「退けっ、退けぃ」

 9月20日、敵将『高昇』の槍兵隊六千は総崩れとなって壊滅。南皮城防衛戦は劉備勢の完全勝利で幕を下ろす。

 「兄者の采配お見事でした。完勝ですな」

 「雲長よ、まだ終わっておらぬ。急ぎ全軍を騎兵に再編成せよ。」

 劉備勢は全軍ー万七千五百を騎兵に再編成しなおして、南進を開始。

 劉備は『甘陵』の賊将『張燕』に蹂躙されて権力の空白地となっていた冀州の都城『平原』を解放するため迅速な行動を起こした。

 9月29日、劉備勢は『平原』に無血入城。『平原』の民は、賊将『張燕』を打ち破り、略奪の脅威から解放してくれた劉備達を英雄として大いに歓迎したのだった。

用語説明

『張燕』・・・ 黄巾党の頭目。もとは黒山賊という盗賊の頭目で、黄巾の乱に呼応して黄巾党に参入。武勇に優れ騎馬隊の扱い長ける。性格は猪突猛進で強欲。甘陵を拠点に周辺の都市で略奪行為を繰り返している悪党。

『黒山賊』・・・ 河北に一大勢力を築いた盗賊の集団。主に冀州の北西一帯の山間部を根城にし、神出鬼没の略奪行為を繰り返している。

『甘陵』・・・ 冀州の都城のーつ。南皮の南西に位置する。賊将張燕の根城。

『平原』・・・ 冀州の都城のーつ。南皮の南に位置する。賊将張燕の度重なる略奪に、太守や官僚が逃亡。権力の空白地となっていた。

『高昇』・・・ 鉅鹿黄巾党の盗賊あがりの頭目。猪武者。

『鍾繇』・・・ 鉅鹿黄巾党の優秀な文官。軍の統率もそつなくこなす。

『鉅鹿』・・・ 冀州の都城のーつ。中山の南、南皮の南西、甘陵の北西、晋陽の東、鄴の北。黄巾党の首魁張角の出身地であり、その本拠地となっている。

『偽報扇動』・・・ 偽りの情報を与えて敵を引き返させるとともに、部隊の攻撃力を下げる計略。

『張挙』・・・ 太守劉焉に仕えている優秀な武官。

『簡雍』・・・ 太守劉焉に仕えている若い文官。

『中山』・・・ 冀州の都城のーつ。薊の南西、鉅鹿の北、南皮の西にある。古くは遊牧騎馬民族の狄が起こした国とされる。

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