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三国志13 蜀志劉備伝 #18

済北城攻略戦

185年7月

 劉備率いる劉焉軍約四万は黄河を渡り済北城に到達、残り僅かな守備兵に無駄な抵抗をしないよう降伏勧告の文を付けた矢を城内に放った。そして三つのことを済北城内に宣言した。一つ抵抗しなければ助命する、二つ逃げるならば追わない、三つ開城後の略奪行為を厳に取り締まる。劉備は抵抗する兵のいない城門の一つだけ打ち壊すよう命じ、残りの城門には逃亡できるよう兵士を配置しなかった。

 「済北守備兵達よ、決して悪いようにはせぬ、矛を収めて降伏せよ」

 劉備は無理に城攻めを行い自軍の兵士を無駄死にさせるような酷将ではない。また敵を追い詰めて死兵と化すような愚将でもない。敵兵であっても仁徳を施す器の大きさに戦場にいる全ての人が心を動かされた。

 7月2日、さしたる抵抗がなかったため、程なく城門は打ち壊されるものと劉焉軍の将兵は高を括っていたのだが、その甘い期待はすぐに打ち砕かれた。

 7月3日、逃亡を見逃す為に兵を配置しなかった城門から張梁率いる黄巾の援軍約八千が到着。済北黄巾党の組織的な抵抗が始まった。どうやら張梁隊は小沛への救援を取りやめ済北の守備に回ったようだ。

 敵主将の張梁は既に官軍によって処刑された黄巾の乱の首謀者張角の末弟であり、次兄で現在の黄巾の党首張宝を支える右腕として黄巾党の中核をなす人物である。

 済北城城壁に人公将軍と大書された軍旗が掲げられると城内の士気は弥が上にも高まった。

 7月7日、黄巾党の党首実弟の入城は城内の敵兵の士気を揺るぎないものにしてしまった。徹底交戦の構えを見て取った劉備は無傷での城門の打ち壊しを諦め、防備が手薄な西側城壁に攻城兵器雲梯の設置をするよう張純に命じた。

 7月9日、張純は西側城壁に素早く雲梯を設置、劉焉軍は全軍で城壁へ取り付いた。

 「関雲長が先駆けなり、死にたくなくば下がっておれ」

 7月11日、済北守備兵の激しい抵抗を切り裂いて西側城壁上に先駆けを果たしたのは関羽だ。城壁を巡って敵将張梁の部隊と劉焉軍の各部隊の鍔迫り合いが始まると、別の城門から黄巾の新手八千五百が到着した。

 黄巾の増援は二部隊、軍旗には高昇、廖化と大書している。済北守備隊の兵力は一万六千に膨れ上がった。増援は敵の本陣の守りについたようだ。

 「あの張梁を討てば黄巾の三つ首は残り一つだ、ここで勝てば黄巾の乱の鎮圧も近いぞっ」

 劉備の檄が全軍に飛び、大義の士気は天をも衝かんばかりに高まった。黄巾守備兵はその勢いを止めることができず、続々と城壁から落ちることとなった。

 「つっ、強すぎる」

 7月12日、劉備の采配に僅か一日で敵将張梁の部隊約八千は壊滅し、張梁は人公将軍の旗を置き去りにして逃げ去った。

 7月13日、西側城壁を制圧した劉焉軍はそこから城内に雪崩れ込み、敵将高昇の四千三百が守る敵本陣を急襲した。南方に移動する敵将廖化の部隊四千二百は敵本陣から離れていく。

 「敵は軍を半分に分けて空の本陣を狙うか、狙いの筋はいいがやや手緩いな、敵の反撃は手抜いて先に敵本陣を落とすぞ」

 7月15日、張飛隊がやや遅れたが、劉備の号令に全軍が敵本陣へ取り付き猛攻を開始、敵将高昇は竹を重ねた軽い盾を使い守備隊の防御を強化する戦術で対抗した。

 「この屈辱忘れはせんぞっ」

 7月17日、張飛隊は遅れを取り戻さんと敵本陣へ猛攻を繰り返し、敵将高昇の部隊四千三百がその為に壊滅した。劉備は逃げる敗残兵は追わないよう指示し、全軍に敵本陣の制圧を優先させるよう下知を出した。

 「何っ、高昇隊がもう壊滅したと」

 敵将廖化の軽装槍兵隊四千二百は劉焉軍の本陣に肉薄していたが、済北城本陣が危急になり戻らざるを得なくなった。

 7月19日、守将を欠いた本陣は為す術なくその守備力を失っていく。

 「一番乗りはこの張純だ、てめえら忘れんじゃねぇぞ」

 7月20日、敵本陣制圧、一番乗りは張純でその名乗りが城内高らかに響き渡った。

 敵将廖化は済北城陥落に救援が間に合わず退却。ここに済北城攻略戦は劉焉軍の大勝で幕を閉じた。

 劉備は済北城制圧が済むと直ちに城内に三つの宣言をした。抵抗しない者は助命、逃げる者は追わず、略奪の厳禁である。この宣言の厳格な履行によって城内の混乱は収まり、すぐに落ち着きを取り戻した。

 城内を捜索した劉備は、張梁によって戦犯として城内の牢屋に繋がれていた于禁ら三人の武将を発見し捕縛した。

 「戦功第一は譲れはせんっ」

 戦後の論功行賞では、西側城壁に先駆け敵将張梁の部隊を潰滅に追い込んだ関羽が戦功第一。

 「兄者の采配見事です、戦功第ニは兄者です」

 「心残りは張梁を取り逃がしたことよ」

 大義の采配で全軍を奮い立たせた劉備が戦功第二として台帳に記された。

 「さすが兄貴たちよ、ちっ儂らの隊がもう少し速く動ければなぁ」

 張飛の部隊が遅いのではない、劉備と関羽は特別に部隊を早く動かせる神速の兵法を熟知している為である。劉備はこのことで部下を詰ることがないよう張飛に諭し、敵本陣を守る高昇の部隊を潰走させた功を戦功第三として張飛に報奨を授けた。

 「張純の働き、小隊ながら格別であった」

 最後に、小隊を率いて雲梯を城壁に取り付け敵本陣に一番乗りした張純はその功を特別に報奨されることとなった。

 その公明正大な裁きに将兵は皆感じ入った。働きが正しく評価され公平に報奨されることは兵士のやる気を漲らせる。劉備が率いる兵士逹が強いのはこの公平性に力の源泉があるからだった。この戦に従軍している文官の簡雍は滞りなく全将兵、傷病者、戦死者に至るまで公平に報奨を配布した。

 兵力を点検すると三万八千、傷病兵は三千二百であった。数日の休息を取り、劉備は小沛への進軍を発令した。友軍である徐州孫堅軍が小沛近郊で黄巾軍と交戦中なのである。

 「今度は我等が約定を果たす番だ」

 7月24日、小沛に向け前進する劉焉軍全軍は気持ちを一つにしていた。劉焉軍が黄河を渡河できるよう、黄河以南の黄巾軍を一手に引き受けて善戦を続ける孫堅軍を我等が救援するのだと。

登場人物

劉備 ・・・ 主人公。字は玄徳。劉軍師とも呼ばれる。幽洲涿郡涿楼桑村の出身。漢の皇帝の末裔であったが、父が早く亡くなり家は没落、筵を売って生計を立てていた。身の丈七尺五寸(約173センチ)、大きな耳をしている。武器は家宝の双剣『雌雄一対の剣』。現在は劉焉軍の軍師として孫堅軍との共同作戦を開始、約四万の兵を率いて黄河を渡河し済北城を黄巾の残党から奪取することに成功した。

劉焉 ・・・ 字は君郎。劉幽州とも呼ばれる。漢室の末裔で幽州を統べる刺史(行政長官)。文官としての才能には秀でるが軍事には疎い。その為、黄巾の乱鎮圧に優秀な武官を必要としている。性格は冷静沈着だが強欲。子に劉璋がいる。現在は本拠地を冀州の南皮に移し、私財を増やす為部下に南皮での収奪を密命した。水面下で十常侍と接触し、黄巾の乱平定後の未来を強欲に画策し始めている。

張梁 ・・・ 黄巾党の首魁張角の末弟。人公将軍を自称しており、張角亡きあとの黄巾の残党では党首張宝の右腕として中核をなす重要人物。張角に伝授され、妖術を使うと噂されている。今回援軍を率いて済北城の防衛にあたるが、敢え無く敗退。

張角 ・・・ 黄巾党の首魁で太平道の創始者。天公将軍と自称し漢朝の転覆を画策、太平道の信徒数十万人を扇動して黄巾の乱を起こさせた。奮戦の末、官軍の若き将校の曹操によって捕縛され、処刑された。

張宝 ・・・ 黄巾党の首魁張角の弟(次兄)。地公将軍を自称しており、張角亡きあとの黄巾の残党を党首として率いる。張角に伝授され、妖術を使うと噂されている。

張純 ・・・ 劉焉軍中山守備隊の隊長。劉備の命により黄巾討伐の軍に召集された。中山軽騎兵六千を率いる優秀な武官。現在は劉備と南進の軍中で第五軍を率いている。済北攻略戦では敵本陣への一番乗りを果たし劉備から特別な報奨を授けられた。

関羽 ・・・ 字は雲長。桃園の誓いを結んだ劉備の義兄弟(次兄)。司隷河東郡解県の出身。なによりも義を重んじる豪傑で、極めて優れた武勇の持ち主。身の丈九尺(約207センチ)、赤ら顔で鳳眼、長く美しい髭をたくわえている。武器は重さ八十二斤(約18キロ)の大薙刀『青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)』。現在は劉備と南進の軍中で第二軍を率いている。 

高昇 ・・・ 黄巾党の盗賊あがりの頭目。猪武者。戦場では部隊の守備力を高める戦術を使う南皮城での戦いで一度劉備に敗退している。今回の済北城の戦いでは増援を率いて参戦するも敗退。

廖化 ・・・ 黄巾党の頭目。増援を率いて参戦、今回の済北城の戦いでは別働隊を率いて劉焉軍の本陣に肉薄するも、先に済北城が陥落してしまい退却せざるを得なくなった。

張飛 ・・・ 字は翼徳。桃園の誓いを結んだ劉備の義兄弟(末弟)。幽洲涿郡の出身。猪突猛進で直情径行な暴れん坊。関羽に並ぶ程の卓越した武勇の持ち主。酒乱。身の丈八尺(約184センチ)、豹のような頭にギョロっとした目、顎には虎髭という容貌。武器は一丈八尺(約413センチ)の長矛『蛇矛(だぼう)』。現在は劉備と南進の軍中で第三軍を率いている。

孫堅 ・・・ 字は文台。徐州刺史で孫徐州とも呼ばれる。揚州呉郡の人。孫子の末裔を自称し、十代での賊討伐を切っ掛けに頭角を表す。若くして出世し、統率力、武勇に優れ、知勇兼備の英傑である。性格は豪胆。多くの兵士を従える威風を全身から発している。戦においては獅子奮迅の働き振りで自部隊の攻撃や士気を極限まで高め、周囲の部隊に兵撃を与える戦術を使う。武器は名品古錠刀。孫策、孫権の父。劉備とは朋友の絆を結んでいる。現在は劉備との約定を守り陽動部隊として小沛近郊で黄巾軍と交戦中。

于禁 ・・・ 黄巾党の頭目の一人。済北港の戦いで敗戦。張梁によって戦犯として済北城の牢屋に繋がれていた。現在は劉備によって捕縛され捕虜として済北城で監視下に置かれている。

簡雍 ・・・ 劉焉軍の若き文官。現在は張純隊の副将として南進する劉焉軍に従軍中。軍中の雑務一切を差配している。

用語説明

黄巾の残党 ・・・ 太平道の教祖である張角が主導した大規模反乱の勢力。目印に黄色の頭巾を被った。主導者の張角は既に処刑され、現在は弟の張宝が跡を引き継いでいる。残党と言われるも依然勢力は強大。

徐州 ・・・ 漢代中国の十四に分かたれた行政区分のうちの東方の州。徐州の都城は下邳、琅琊、広陵。現在は孫堅が州刺史として各都城の太守を監督している。

済北 ・・・ 兗州の都城のーつ。劉備達によって黄巾の残党から奪還された。解放後、劉備が略奪を厳に取り締まったので城内の混乱はすぐに沈静化した。現在は劉焉軍によって統治下に置かれている。

小沛 ・・・ 豫州の都城のーつ、下邳の北西に位置する都市。沛県は漢の高祖劉邦の出生地でもある。現在は黄巾の残党が占領している。劉備の攻略目標であり、ここを押さえることで徐州の孫堅軍に物資を供給することが可能となる。

雲梯 ・・・ 城壁を乗り越えるため、梯子を掛ける為の攻城兵器のーつ。台車に梯子を備え付け城壁に取り付けさせて兵士を城壁に送り込む。

神速 ・・・ 部隊を迅速に動かせる特技。劉備と関羽は兵法を学ぶことによって神速を高い段階まで習得している。

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