見出し画像

三国志13 蜀志劉備伝 #2

初任務

184年2月

 『幽州刺史劉焉』から命じられた劉備の初任務は『幽州』の都城『薊』の内政、農業振興であった。家が没落していた劉備は若い頃より農民と共に農作業を行っていたため農民の気持ちがよくわかる。権力者の押し付けではなく、農民目線できめ細かい農政ができるのである。それ故に政治的な特技として【農業】を大変得意としていた。

 劉備は義兄弟の張飛を伴って農村へ赴くと、どうすれば収穫があがるのか農村の長老から詳しく話を聞いた。そして農場を視察して灌漑施設が必要だと直感し、新たに貯水池の整備を始めることにした。二人は数日農村に滞在しながら農民と共に汗を流して貯水池整備に勤しんだ。


 「兄者ぁ、今日はもうこれくらいにしとこうや」

 貯水池整備に二十人分は重労働をこなした張飛がもう酒を飲みたそうにしている。

 すると突如、荒くれ者数十人が村を襲撃し始めた。この辺りで略奪の限りを尽くしている盗賊の一団のようだ。劉備と張飛はすぐさまこれを返り討ちにせんと、二手に分かれる。まず張飛が盗賊の手下どもを蹴散らしている隙に、劉備は遠方より形勢を窺う盗賊の頭領に詰め寄り【一騎打ち】を挑む。

 「貴殿は何故、略奪などの非道をなさるのか、もし降伏し心を入れ替えるのならば罪一等を減じて死罪は免じてやるが如何に」

 劉備は毅然とした態度で、まず盗賊の非道を詰り、心から降伏するよう諭した。しかし盗賊の頭領はその提案に激昂し、殺気を漲らせ撃ちかかってきた。

 「てめぇ、舐めてんじゃねぇ、ぶっ殺して豚の餌にしてやんょ」

 一合目、双方互いに攻撃を繰り出すが、武術の実力は劉備の方が遥に優れていた。劉備は以前、一騎打ちの名手である張飛から【一騎】の極意を伝授されていた。また両手に煌めく【名品】『雌雄一対の剣』も天下に名だたる業物である。盗賊の頭領は酷く負傷して次の攻撃に身構える。

 盗賊の頭領は意識を集中させて闘志を高めようとしたが、劉備の牽制攻撃により体勢を崩されてしまった。二合目を打ち合って、更に深手を負って既に瀕死の形相で血の気も失せている。

 三合目、劉備の攻撃が盗賊の頭領の牽制をねじ伏せて、劉備は一騎打ちに勝利した。

 苦境に陥った盗賊の頭領は近くの手下を引き連れて逃げようとしたが、劉備の放った矢に当たり転倒したところを捕縛されてしまった。張飛の方も盗賊の手下どもを軽々と片付けてしまっていた。

 かくして農村から盗賊団の脅威は去り、貯水池も無事に完成して、農民達は劉備と張飛に心から感謝した。そして、この成果には『幽州刺史劉焉』も大いに満足し、劉備に特別に金一封を下賜したのである。

 
 盗賊を捕らえ、褒美を得ても、とても喜べぬと劉備は思っていた。鼠のような盗賊をいくら捕らえても、盗賊を生みだす悪政を正さねば、すぐに別の盗賊が現れるのだから。そして盗賊の悪業によって困窮した民は、生きるためにまた別の新たな盗賊になり得るのだ。

用語説明

『幽州刺史劉焉』・・・ 姓名は劉焉、字は君郎。漢室の末裔で幽州を統べる刺史(行政長官)であり、本拠地を薊に置いていた。文官としての才能には秀でるが軍事には疎い。その為、黄巾の乱鎮圧を前に優秀な武官を必要としていた。性格は冷静沈着だが強欲。子に劉璋がいる。中国では名は諱(いみな)として呼ばれることは特別な時であり、字か官職で呼ばれることが多い。例、劉幽州(姓+官職(任地の地名など)。

『幽州』・・・ 漢代中国の十四に分かたれた行政区分のうちの東北の州。春秋戦国時代には燕国と呼ばれていた。北は遊牧騎馬民族である鮮卑と接しており、東は朝鮮半島北部まで支配下に置いていた。朝鮮経由で、当時倭国と呼ばれていた弥生時代の日本に政治的影響を与えていたとされる。幽州の都城は薊、北平、襄平。

『薊』・・・ 幽州の都城の一つで幽州の州都。北平の西、南皮の北西、中山の北東。現在の北京にあったと推定される。

『雌雄一対の剣』・・・ 劉備が所有する家宝の双剣。武器としてかなりの業物で、一騎打ちに特別な効果を発揮する。

おいしいエサが食べたいでつ サポート待ってまつ🐾