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三国志13 蜀志劉備伝 #1

桃園の誓い

184年2月

 時は西暦184年、中国大陸では400年の長きにわたり支配を続けていた帝国『漢』も混沌の様相を呈し始める。

 度重なる悪政に端を発した大規模反乱『黄巾の乱』が勃発。中国全土に瞬く間に広がり、多くの人々が争乱の惨禍に巻き込まれていた。

 この国難を仁徳をもって救わんとする若者が一人いた。その名は『劉備玄徳』、没落してはいたが漢の皇帝の末裔で、仁義に厚く文武両道に秀で、不思議と人を惹きつける魅力の持ち主である。

 ある日、劉備は『関羽雲長』と『張飛益徳』という二人の豪傑と邂逅する。漢室のため、多くの人々を争乱の苦しみから救おうと三人は意気投合し、『桃園の誓い』を結んで義兄弟の契りを交わす。


 「我ら生まれた日は違えども、願わくば同年同月同日に死せん」

 
 『黄巾の乱』鎮圧のため、三人は近隣の若者を集めて義勇軍を結成し、『幽州』の『刺史』『劉焉』の陣営に参陣することにした。

用語説明

『漢』・・・ 紀元前206年劉邦によって興され、西暦25年に劉秀によって再興された中国の王朝。
 約400年の統治期間の末期には若年の皇帝に代わり、皇后の親族である外戚や宮中の一切を取り仕切る宦官が政治を壟断するという腐敗した政治体制が常態化しており、皇帝は事実上傀儡となって政治は乱れていた。
 文武の百官の能力や功績は正しく評価されず、官職は売りに出され、出世のために官僚は賄賂を贈り、賄賂を贈るために民衆から搾取するという有様であった。

『黄巾の乱』・・・ 漢帝国末期(184年)に太平道の教祖である張角が主導した大規模反乱。反乱軍は目印として頭に黄色の頭巾を被ったため黄巾賊と呼称される。漢帝国が滅亡することになる遠因の一つ。

『劉備玄徳』・・・ 主人公。幽洲涿郡涿楼桑村の出身。漢の皇帝の末裔であったが、父が早く亡くなり家は没落、筵を売って生計を立てていた。身の丈七尺五寸(約173センチ)、大きな耳をしている。武器は家宝の双剣『雌雄一対の剣』。

『関羽雲長』・・・ 劉備の義兄弟(次兄)。司隷河東郡解県の出身。なによりも義を重んじる豪傑で、極めて優れた武勇の持ち主。身の丈九尺(約207センチ)、赤ら顔で鳳眼、長く美しい髭をたくわえている。武器は重さ八十二斤(約18キロ)の大薙刀『青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)』。

『張飛翼徳』・・・ 劉備の義兄弟(末弟)。幽洲涿郡の出身。猪突猛進で直情径行な暴れん坊。関羽に並ぶ程の卓越した武勇の持ち主。酒乱。身の丈八尺(約184センチ)、豹のような頭にギョロっとした目、顎には虎髭という容貌。武器は一丈八尺(約413センチ)の長矛『蛇矛(だぼう)』。

『桃園の誓い』・・・ 劉備、関羽、張飛が桃園において交わした義兄弟の契り。三人は「我ら生まれた日は違えども、願わくば同年同月同日に死せん」と宣誓し、漢が直面する国難を救い、天下万民を護ることを誓い合った。

『幽州』・・・ 漢代中国の十四に分かたれた行政区分のうちの東北の州。春秋戦国時代には燕国と呼ばれていた。北は遊牧騎馬民族である鮮卑と接しており、東は朝鮮半島北部まで支配下に置いていた。朝鮮経由で、当時倭国と呼ばれていた弥生時代の日本に政治的影響を与えていたとされる。幽州の都城は薊、北平、襄平。

『刺史』・・・ 官職のーつで、州の行政長官。

『劉焉』・・・ 姓名は劉焉。漢室の末裔で幽州を統べる刺史。黄巾の乱鎮圧のため、幽州全士に布告し、将兵を募っていた。

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