見出し画像

お金を貯めるのに「目標」は要るか

しばしば、運用に先立って目標金額を決めよう、みたいな話を聞く。
目標金額を決めて月額いくら貯めれば良いかを割り出し、節約や収入アップを頑張ろう、という趣旨は、一見まともそうに見える。

でもよく考えてみると、変な話だ。
 昇進昇格や転職で収入アップしたら目標から割り出した定額以外は使って良いの?
 たまたま地合いが良いとか大幅に値上がりする株を掴めて、目標をより早期により大きく上回ったとしたらどうするのだろう?
 あるいは、すごいインフレやデフレで目標金額自体が過大あるいは過小になったらどうするのだろう?

節約や目標年収の前提に、教育費や家の修繕などの必要金額(目標金額ではなくて)を挙げておくのは意味がある。ただ、それとてもあまりあてにならない。上記のとおり、お金の価値が変わるかもしれないし、思わぬ幸運も不運もあるだろう。必要金額の想定はざっくりで良いし、何が何でもその金額を個人の努力でどうにかする必要も無い。

例えば、東京都だけかもしれないが、近年になってから一定水準以下の年収だと高校の授業料は無償になった。大学に行くつもりでお金を貯めていても、国立高専に自宅から通学すればほとんどお金はかからない。
逆に、美大進学、さらに海外留学などするととてつもなくお金がかかる。
医学部も日本全国の大学を片っ端から受けるものなので、私大で自宅から通えないとなったら大変な支出だ(慶応大学は授業料だけで卒業まで1800万円以上かかる)。
そんな金額を貯めるために汲々と節約に励んだり、危ない橋を渡るような資産運用をするくらいなら「これ以上は奨学金でお願いね」と割り切って毎日笑顔で暮らし、月に1回くらいは家族で美味しいものを食べる方がずっと生産的だ。

同じことは老後にも言える。お金をかけようと思えば果てしなくかけられるけれど(早くから有料老人ホームで三食賄ってもらったら1億円あっても足りない)、無くてもどうにでもなる。いつ死ぬのか、お金をかけさえすれば治る病気になるのかどうかもわからない。最悪生活保護がある、と割り切って、無理なくできる範囲で節度を持つだけで良い。

私は株式投資をしているが、決めるべきなのは目標金額ではなく、金融資産のうち、預金で持つ金額か割合だと思っている。とは言え、今は給与所得で十分に生活できているので、株が値上がりしたからといって現金とのリバランスを考えたりはしないし、逆に暴落局面だからと現金をかき集めて慌てて株を買うこともしない。まして、金融資産の目標額など、意味がない。
ただ、老後に必要な金額は気持ち多めに見積もっている。その金額に到達しないとしても、働けば済む話だから、それほど神経質には考えていない。もっとおおらかな気持ちでお金と向き合いたい。