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引くところ引かないところ

何をでしょうか。
切り取り線を、です。

あなたは、どこに線を引きますか?
わたしはきっと、それを今問われているのだと思います。
その辺のことを、つらつらと纏めてみます。


昨日の夜、新しい気づきがあった。
それは、お金に対する気付きで、なるほどそうすれば納得できることばかりで(わたしの感覚としては拒否反応が出てた😂←つまり当たり🎯)、なるほど、そういう風にしないといけないのか...これは修行だなぁと思っていたら、現実的にも色んなところからそこに関するエスクキューズか届いていることに気付いた。

わたしは、割と色々ぼかしておきたいところがある。
みんなそうかもしれないけど、引かなくていいなら線は引きたくないし、言わなくていいならネガティブなことは言いたくない。

でもそれは、自分がいい人でありたいから、嫌われたくないからというのも実はとても大きい(バレてるかもしれませんが)。
無難を選びたいのは、わざわざ戦いたくないからであるし、顕さなくていいなら、顕したくないものはたくさんある。

それはつまり、自分の見え方をコントロールしようとしているということでもあるな...と今これを書いていて気付いた。

だから、一昨日ののびタロでのメッセージがこうだったのかと改めて納得。潜在意識は先取り。
わたしの場合は大体同じ感覚で前倒しになっていることが多い。日付で行くと2、3日。この辺の感覚についてはなかなか言葉を少なくして説明が出来ないので、今回はあえてとばします。

で、その2日前のツイート。

このときは、「が」が強くなっている、という話だった。
それは、ここに書いてきたことと繋がる。見え方をコントロールしている、世界をコントロールしようとしている。
勝手なわたしの、自我のとおりに。

でも、今日わたしが書いているのは、実は「が」を強くする必要があるという話でもある。同じコントロールでも、全く別のベクトルの話。そして、これはコントロールではなく、恐らく自分の世界に秩序を見出すという話。

(いつものように抽象度が高くなってきましたが、このままいきます。)

昨日の夜は、「カードを読まないカードの読み方講座(仮) vol.0」をさせていただいてました。
つまり、愚者のエネルギーに、とことんチューニングした夜だったということ。その前のホニャララも(本当に神回でした😇あとで久々にnoteまとめたい!)、わたしが強く感じたのはカオス(混沌)に光が顕れる、という感覚で。

この、光のチューニングをするということは、自ずと受け容れられないを受け容れるということが求められるなぁと、改めて思ったんです。

これは、先日学びを終えたこちらのマントラのクラスでの気づきとも繋がっていて。

noがあるから、yesがある。
yesをいうには、noを言わないといけないときがくる。
そして、noの先にあるyesもある。
そのyesを見つけるためには、noにnoを言う必要がある。

そういうことだ、それを問われているんだ、と改めてじんわりしている今ここにいるわたしがいます。決して心地よいだけではありませんが、それはまだ癒えてないから、移りきってないからなので、目の前の事象にだまされずに、自分の在り方だけをしっかりと見つめていきたいと思います。

悪魔のカードもちゃんと出てくれてましたしね。

今日はこちらでした。

だから、このnoteを書いたのでした( ˙˘˙ )
今の感覚を残しておきたくて。

大切にしたいものを大切にするために、それはわたしがわたしであるために、ということ。
そしてその大切にしたいわたしを、見極めるとき。


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