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さくさくサクサク 2024/04/16 -3

なんだかもよのすごく無駄なく色んなことがすすむ(あ、ちなみに今日という日のrhythmの話)。乗り換えとかもすごくうまくいくし、目的地には直結するし、最短距離のはずなのに絶妙に寄るべきところに寄れるし、そこからまた導かれる感じで行くべきところに行って、それでも時間が余ったからぼ───っとしてnoteを書いて、それでも初めての場所だしなと早めに移動してみたらスムーズ過ぎてまた寄り道ができてしまって、上述のとおり寄り道をしても最短で物事がすすむため、最終的に再び時間が30分以上余ってしまった。なので、いま起きていることをnoteに書くことにした。手帳はスーツケースの中なので今だすことができないので、手帳をみるのは今日寝る前か明日の朝だなとぼんやり思ってみたりしている。余った時間で何をするか。この時間内にできないこと以外で。しないといけないことを総まとめにしてみると依然として渋滞していて、でもそれは今この瞬間この場所にいるわたしではどうにもならないことを多分に孕む。そういう、今どうにもならないことを、どうにもならないのにまるでどうにかなりそうな感じでできてないできてないと自分を追い込むくせがわたしにはある。とか書いているが、本当に追い込まないといけないことは華麗にスルーする謎の鋼メンタルも持ち合わせている。自分という存在は本当に辻褄が合わないなぁとしみじみ思う。今日は、昨日寝る前には決まってなかった予定をこなすことになった。起きてからすぐ決まったわけでもないのに、なぜか物事はまるでだいぶ前からそう決めていたかのように(なんなら前から準備していたのだとしてもそれよりも遥かにスムーズに)この上なくスマートに流れた。頭が理解するのが今朝になっただけで、きっと決まっていたのだろう。こういうときは、そういうことが多い。自覚していること、自分がわかっていることだけで世界は決まっていない。頭で考えられること理解できることは3パーセントで、残り97パーセントは無意識であるというのはそういうことだ。残りの97パーセントの方が余程強いし簡単に物事を成す/為すことができるのに、人間は「意図」という魔法を間違って使っているので、3パーセントで現実化を頑張ろうとする。微々たる力で全力を振って、最大最高の結果を得ようとする。人間を愚かだというならこういうことを指すのだろうと思う。これは生きることに対して貧困である、ということだと思っている。でもこの貧困が貧困である理由が、結構世界の法則とか禁忌に触れることだったりもする(と思っている)。なんだか話の雲行きがものものしくなってきたし、わたしの移動の時間も迫ってきたし、いい感じにまたこのことも流れていくようだ。書けるとき、話せるとき、とにかくまたそういう機会が巡ってきたときに、安心してまたこの話はしたいと思う。ということで、わたしは帰途に着く。あえて改行せずにひたすら長い文章を書いたのは、色んな意味で画面も文章も時間も出来事も、分けたくなかったから。ではまた書きます。



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