扉の先 2024/10/01
昨日のnoteの続きです。
そこに触れようとすると、靄がかってしまう。
理由を明確にしたくないのか、知りたくないのか。
明確にしたくない理由は何なのか、そして同じく、知りたくない理由はなんなのか。
確かに触れた気がしたのに、だからわかる気がするのに、整理しようとすると頭がフリーズしてしまう。
今もそうだ。
単に大切だった、で終わるのなら、こんなに何度も訪れていないし、幸せだった、もそうだろう。
確かに、大切だったし幸せだった。わたしの人生は、わたしの思い通りになるのだと思った。ふと、でも確実な実感を伴ってわたしの中にあり続けたその感覚は、不思議だけど確信があった。その感覚があったから、わたしは待つことが出来ていたし、その結果、その通りの、否それ以上のことが起きた。
それを、手放したからか。
だからわたしは、わたしのことが信じられないという気持ち(感覚)に苛まれていて、感じたくないから蓋をして逃げて、でも結局ここに帰ってくることを繰り返しているのか。
答えを、変えないといけない。
例えそれが残酷であっても、真実をみないといけない。
あのとき、わたしが手放したのは自分の感覚ではなかった。自分の感覚だと思っていたけど、最初の感覚が永遠にならなかっただけで、逆に何も分からないまま感覚を1番にし続けたからこそ、今わたしの記憶の中に残る展開になったんだった。
気まぐれではなかった。
わたしは、1番大事な人を手放すという体験を通して、わたし自身を大切にした。
そんな美談にしていいのか、と頭の片隅から声がする。
あなたは、永遠を手放したのよ、と。
永遠ってなんだ。
そんなの知らない。
知らないわけじゃない。それは今も欲しい。たぶん。でも、たぶん今もわたしはそれに触れている。そのときとは違うカタチで、流れで、わたしは確実にまた、あのときと同じところに立っている。
だから今、あのときのわたしを解かないと、わたしは次に進めない。
そういうことなんじゃないか。
20年、厳密にはそこから更に10年、そしてまた更に6年くらい。出逢いから考えたら、27年。書いてみると妙に実感が伴ってしまい重く感じるので書いてよかったのかどうかわからないけど、逆にそれを書いたことでここには書いていない数字も含め、わたしの中にある方程式が浮かんできていて、なるほど、と腑に落ちている。
・・・腑に落ちてしまいそうになっている。
そっか、そうだよね。
手放したけど、手離したくないよね。
初めて、永遠を知ったんだもんね。
感情的なところを切り離してたんたんと整理してみれば、わたしに起こった一連の出来事は、ちゃんと宇宙のリズムに乗っている。むしろそのまんまで、伏線の回収もそのまんまで、であるならば、今ここにいるわたしがこのことを改めて受け取り直しているのも、必然でしかない、ということ。
そして、また別の意味で大切なのは、このゆるしを自分に与えたくて、わたしは何度もこの部屋に帰ってきていたということだ。
ただ、わたしが変なところで律儀というか、筋を通しているなと感じることがあって(それは書きません)、それはそれでなんだかとてもわたしらしいなと思い、何だか嬉しくなっている。ここの文章はvibesが違うのでお分かりになる方もいらっしゃるだろう。そういう感じです。わたしってそういうとこあるよな、って感じ。変なところが律儀で義理堅くて、こういうところは自分でも可愛いなと思ってしまう。ちなみに、これを書きながらものすごく身体の一部が解けていくのを感じていて、やはりこの体験がわたしのことを縛っていたのだと感じる。
こんなに大きな愛のギフトを(言葉にすると何だかなぁってなりますね)、相手を通して、宇宙を通して、時空間を超えて、受け取ることになるなんて思ってもみなかった。これをずっと受け取りたかったんだ、わたしは。
そう思うと、その永遠が続いていることに気付くし(とか言ってるけど本当は知っていた感覚だったりする)、これからも続いていくのだとも思う。
当たり前。
そうか、当たり前だったのか。永遠は、特定の条件下でのみ起こることじゃない。それは今もここにある。でも、この感覚は、あのとき体験 / 体感していなければ、感じることも受け取ることもできない。そう、・・・あの人は、わたしの扉を開いてくれた人だったのだ。永遠はここにあると、わたしが体験するために遣わされた運命の人だったのだ。やたらロマンチックな表現になっているのでそれをやめると、その経験のために具現化された他者だったのだ。それはつまり、'わたし' という使者だったということだ。
そんなの知らなかった。
ずっと受け取れなかった。
時間がかかった。
でも、受け取るなら今だった。
だから、時間をかけてよかった、時間がかかってよかった。
もう、これまでのような気持ちで、この気付きのきっかけとなった原体験を思い出すことはないだろう。切なさはずっとそこにあるかも知れないし、ときにその先に続くはずだった未来を想像してしまうこともあるかもしれない。でもそれは、過去のわたしが選ばなかった未来だ。選んでいないのだから、どんなに想像してみたところで、来ることはない。
改めて、わたしはわたししか持っていないと思う。
否、わたしすら持っていないかもしれない。
でもきっとそれでいいのだという気がした。
そのことに気づくための、時間をかけた大規模な過去への回帰だったような気がした。
おしまい。
2024/10/01 (211/366)
このnoteはこちらの続きでした。
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