甘える受けとる生まれ変わる 2024/01/11(12)
今日は山羊座新月。わたしにとっては想定外の連続でしかなかった今日という日が、無事に終わっていこうとしている。
今日はわたしにとってたくさんの奇跡の日で、(繰り返しますが)想定外の日で、ある意味ぶっこみだらけの、ある意味サレンダーの連続の、それでいてその全てをかってわたしが望み、祈り、そして選んだことの集大成だった。そしてそれは、そのままわたしのままわたしになるというまるっとひとつの生まれ変わりを経て、今この瞬間に続いていて、そしてまた明日という日へ続いていく。つまり今は、うまれたてのひよこともいえるし、また次にうまれる自分のためのたまごなのかもしれない。いや、きっとその両方だ。
なぜなら、人とは営みだからである。急にどうした、と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、人というのは、エネルギー的にも組織的も、そしてあえて書いておくと宇宙的(たぶんOneness的みたいなニュアンス)にも、全ては営みでしかないからだ。そのとおりになっていく流れの中で、今日わたしたちは今を生きている。
今日は、「内なる星を辿る旅」のWSがあった。2021年03月03日の魚座の新月から始まったWSも、今では第4期の半ばにさし掛かろうとしている。つまりもうすぐ丸2年。誕生日とその時間(Zoomの録画からWSをしよう!と話した時間を割り出したので)がわかっているので、実はネイタルチャートをよんでみたことがある。何なら毎年ソーラーリターン図までみて、未来予測もしている。なぜなら、この「場」はわたしがしようと思って創っている場ではなく(限りなくそうしている場ではあるのですが)、宇宙または大いなる存在から任命されて、開催させていただいているWSだという確信を持って開催させていただいているWSだからだ。つまり、わたし(たち)が開催しようと思ってしているのではないのだが、これ以上に開催したいと思って開催させていただいているWSはない。ちなみに、わたしがさせていただいている個人セッションも全て同じ感覚でさせていただいている。なぜなら、わたし個人がどうしてもしたいことではないのだが、わたし自身これ以上したいこともないという感覚で満ちているものだからだ。
自分を生きることはこれとおなじ(或いはこのことそのもの)だ)それは、営みなのである。たくさんのフラクタルの重なったその"わたし"を、わたしがわかっている状態でわからないまま生きている状態。世界の全ては相似であるから、全部鏡で、全部そうであるようにできている。そのことを、日々の中で受け取っていく。それは、自分を受け取ることとまるっと同じこと。
甘える受け取る生まれ変わる。それ(ら)は常に起こっている。だからこそ、意識的に、そして意図的に、そうであろうと思うし、そうでしかいられないし、それこそが豊かさだし、わたしの祈りであると、静かに深く確信した山羊座新月だった。
全てに感謝を、そして祈りを。
これまでにも、そしてこれからにも。
そう。
それはつまり、わたしはしあわせってことなんだから。
2024/01/11(12)🐐🌑 (11/366)
(最後まで丁寧に書き切りたかったので、時間が過ぎたのはわかったのですがあえてそのまま書き切りました。)
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