出口汪氏の「あながも突然、上手に書けるようになる」が酷い

 出口汪は、現代文のカリスマらしい。また、先生らしい。「あながも突然、上手に書けるようになる」は、副題が 7日間「大人の論理エンジン」で本物の文章力が身につく となっており、図書館で目に付いたので借りてしまった。

 1日目として「なぜ、あなたの文章は分かりにくいのか?」として、練習問題を通した説明がされている。私が酷いと思ったのは、練習問題の模範解答例と称する文章である。
 氏は、次のような文章を模範解答としている。
 
 このグラフから分かることは、1980年前後を境に、「物の豊かさ」を求める人の比率が徐々に減少気味であるのに対して、「心の豊かさ」を求める人の比率が急激に高まっていることである。人は、ある程度の物質的豊かさを享受したなら、それだけでは満足せずに、次第に精神的に充実した生活を求め出すようになるのではないか。「物の豊かさ」と「心の豊かさ」の両方が満たされていなければ満足しないのである。

 この文章は普通であるが、氏が設定した練習問題の解答として適切かということになると、かなり酷い回答としか言いようがない。
 氏の設定している練習問題は次のような内容である。

★練習問題
 次のグラフを見て、問いに答えなさい。
問1(省略)
問2 グラフから読み取ったことをもとに、あなたの考えを百五十字以上、二百字以内で答えなさい。

 この練習問題のグラフというのは、内閣府「国民生活に関する世論調査」を資料出所としたもので、「心の豊かさか、物の豊かさか」という表題のグラフである。
 グラフの縦軸は%、横軸は西暦であり1972~2009年までが記載されている。グラフ上に、「物の豊かさ」と「心の豊かさ」が、それぞれ実線及び破線でプロットされている。
 グラフ上は、氏の模範解答通り、1982年頃までは「心の豊かさ」と「物の豊かさ」を示すグラフは40%前後で推移しており、その後、「物の豊かさ」を示す実線が減少しており、「心の豊かさ」を示す破線が上昇しているグラフとなっている。
 したがって、氏の模範解答例の前半は間違っている訳ではないが、後半を「あなたの考え」の例として示すのはひどいものだと思う。

 私が、なぜそのように考えるかは、当該グラフの注に次のような記載があるからである。
(注)心の豊かさとは、「物質的にある程度豊かになったので、これからは心の豊かさやゆとりのある生活をすることに重きをおきたい」とする者の割合、物の豊かさとは、「まだまだ物質的な面で生活を豊かにすることに重きをおきたい」とする者の割合。

 なぜか、物質的に豊かになった人は、「これからは心の豊かさやゆとりのある生活をすることに重きをおきたい」との考えになるという前提で書かれているのだ。
 選択肢は、この二つしかないので、「物質的には貧しくても、心の豊かさに重きを置きたい」とか「物質的にある程度豊かになったので心の豊かさは不要」とかいう人々に対しての選択肢がない設問となっているのです。

 「人は、ある程度の物質的豊かさを享受したなら、それだけでは満足せずに、次第に精神的に充実した生活を求め出すようになるのではないか。」との氏の回答例は、まさに総務省のグラフの(注)にある「物質的にある程度豊かになったので、これからは心の豊かさやゆとりのある生活をすることに重きをおきたい」との考えをなぞっているのに過ぎず、とても「自分の考え」とは言えないのではない。

 総務省の「物質的にある程度豊かになったら、心の豊かさを求める」とか「貧しい人は心の豊かさを求める余裕がない」というような、ステレオタイプの考えをなぞったものを「自分の考えの」模範解答例として掲載する「カリスマ性に」に呆れてしまった次第です。


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