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不意に死を感じる旅 呼子 唐津

この記事の旅は2021年4月のこと。
前年、悪天候が進む方向にわざわざ飛び込み小倉からまったく動けなくなったあの2020年小倉の屈辱から1年足らず.
ややこしいのは現在これを書いてるのはそこからさらに一年後の2022年7月である。

まあなにはどうあれ、私は嬉しい。
いよいよ九州の内陸方向へ進むことができることに。
前回は大分方面に進む予定だったが今回は佐賀、長崎に変更。
とりあえず2021年当時の疫病禍の状態はいまだ先読み不可能だったが思い切って一ヵ月前に安い単身ツアーを予約したのだが、その直後くらいから感染拡大気味になりしかしここで行かないとこの先さらに移動不可能になるのではないかと思いほぼ見切りで行かせていただきました。

さて飛行機がまず超久しぶり。
旅に出る前のことですがまったく無意識に過去に起きた航空事故生存者の方の手記をネットで眺めておりました。
「乗務員さんとか立派だな。自分がここに居合わせたらとても冷静ではおれんな」
ここでふと気が付く。

「あ、俺1週間先に飛行機乗るじゃん」

余計なものを見てしまった。
これはなんとかフラグか?
冗談抜きで数日間不安なまま過ごしました。
とはいえそんな不確実な感覚のために中止する思い切りもなく出発日、
つまり飛行機搭乗の日を迎えます。

そんな搭乗機内、離陸寸前に他の乗客お連れのお子様が泣き叫ぶ声が。

「こわいよ~」

もうひたすら「こわい」の連呼。
多分この子なにか見えてる。
あ~終わった。
フラグ成立。
当たり前だが死は疫病だけではない。
むしろそれ以外の要因によるもののほうが多い。
皆さんさようなら。

まあ、1年後こうして当時を思い出す自分がいうということは
なにも起こらなかったわけで
俺の虫の知らせ、当てにならないといことです。

気を取り直し、今回は博多から入ってまずは唐津、呼子へ。
羽田は本当に閑散としてたが博多界隈のほうがまだ賑わっている印象。

九州にはほんと縁もゆかりもないのだが私にとって人生の幸せとは何かと問えば九州内を何らかの交通機関で移動することというのがかなり上位、
なんなら1位にランクインさせてもいい。
地元の方からすれば雑に九州と括られてもと思われるかもしれないが
九州ならどこでも好きなのだから仕方がない。

とはいえ博多から鉄道で唐津方面となると20年ぶりくらいだろうか。
好きという割にはそれほどに来てないし土地勘もさっぱりだ。
唐津のさらに向こうの呼子となると一日がかりの行程になってしまうことに
行ってみて初めて気づく始末でである。

さて、呼子といえばイカに支配された町である。
今回はあくまで雑誌記事のための取材なので通常個人旅では選ばないような名物のイカ料理そして遊覧船というイカにもなコースだ。
一応断っておくがそういったオーディナリーなコースを見下しているのではなくそういう家族、仲間が集う場は基本距離を置いてしまう性分なのです。
大人になったら克服するかと思っていたが60手前でこのざまである。
お陰様で仕事という大義名分が発生したため果敢に参加させていただいているがなかなかの息苦しさである。

呼子の遊覧船、コースによりイカ型とクジラ型の二択であった。
コース関係なく迷わずイカを選択。
疫病禍ではあったがファミリーで賑わっていた。
ただこの時期の観光施設での定番行司、代表者の記名だ。
感染者が出た時に連絡がきて乗船者は濃厚接触者として扱われるのであろう。
代表者1、参加者1のスカスカ書類を提出する。

さて、当時そうした疫病対応にばかりに目が行っていたが1年後の現在思う所は

「あんな遊覧船でも沈没することがあるのかなぁ、イカなのに」

だ。

知床の遊覧船事故が記憶に新しいが2021年のこの当時、そんな心配などすることなどなかった。
呼子と知床の水温の違いはあれど危険はあらゆるところにあり先ほどの飛行機然り疫病以外に死は思わぬ近い場所にある。
遊覧船利用のため事前にネットで情報を確認していたが天候により
出航は取り消しになることも多いようで行った日に
悪天欠航とかになったら嫌だなー、
ちょっとぐらいの荒れなら出せばいいのにくらいに甘く考えていたが
やはりまともな業者はその辺厳しく管理していたのでしょう。
おかげさまでイカ型船とともに玄界灘に沈みイカの餌になることなく
今日この記事を書く私がおります。

イカ型コースのメインは七ツ釜と呼ばれる奇岩から成る岸壁を
海側から眺めるもので洞窟のひとつに船の鼻先が突っ込みなかなかの臨場感を楽しめます。
ところでこの岩の感じ、どこかで見たようなと思い帰ってから調べてみるとあの東尋坊に似た形状をしており
こちらの岸壁もそれ用に利用されるかたがボチボチいるとか。
そのため心霊スポットとして紹介するサイトもあり期せずして
またも死を感じさせる場に近づいてしまったな、と。

その日の宿泊は唐津。唐津に来るのは4度目ですが宿泊は初めて。
時間もあり以前から行きたいと思っていたところへ既に夕方だったが行ってみることに。
こちらも唐津の名物、数キロに渡り鬱蒼とした松の並木が続く虹の松原だ。

今回は唐津側から歩いて入ったのだが、
思いのほかウエルカムムードじゃないといいますか
これ入っていいの?という空気が。
入ってすぐに廃車、そして墓石、寺社と思しき建物。
私霊感的には鈍感なほうなんですが、
なんかこれまずいな~(淳二調)
これはこれ以上進んじゃいかんでしょ、なんか薄暗くなってきたし。

これも帰ってからネットで調べました。
あの青木ヶ原樹海を思わせる風景からかそれ的な利用者多しとのこと。
またですか・・・

目的の対象の印象より不意に死に近い所にいた1日だったことが今も思い出されます。

それが直接私の身に降りかかるものでもなく、
あくまで気分的なものでしかないのですが、
だからといって嫌な気分だったとか恐ろしい思いをしたとかは
いっさいなく、これもまた旅がもたらしてくれた特別感だったと
一年経った今も心に残っております。

死は当たり前に我々の隣に当たり前のように存在し
人間あっさりそっち側に行ってしまう。
今を大事に生きましょう。
あと更新もマメにしましょう。


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