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疫病禍の直接影響、遂に受ける。蒲郡

2022年11月、私は帰って来た、蒲郡に。
「ひととき」の旅コラム連載第1回(2018年)は蒲郡だった。
数日前に嫁のお父さんが亡くなり異常にバタバタした中の初取材だった。
比較的近場のため日帰りだったが経費持ってもらって旅ができることに
嬉しいというより申し訳ないという気持ちが強かった。

4年ぶりの蒲郡だが、たまたま別件で行くことになり、ついでに連載の
取材も兼ねるということにさせてもらった。
別件とは舞台挨拶。
この頃、旧知の映画監督さんから(あるジャンルにおいて唯一無二の存在)
脚本の仕事の依頼され、それも急だがその映画がこの疫病禍の中ちゃんと
完成して、私が脚本書いてる時になかった蒲郡ロケという要素が加わって
それに伴い地元特別試写をやるから舞台挨拶をしてくださいという、
イレギュラーなことが重なって、それが蒲郡ということに何かの縁を
感じていた。
ただ、これだけでは終わらない。私にとって舞台挨拶をしろ、というのは
死刑宣告に近い。ただ一緒に上がるのがバカ映画巨匠ということもあって
それなりの安心感があったのだが・・・
当日、監督疫病感染で来れない
という事態に。

この疫病禍の期間、最も疫病が私に影響を与えた事件であった。
その3日前、このイベントのため私も初めてPCR検査をすることになった。
検査の証明は2日くらいしか有効ではなく、しかも当日は土日。
今となっては懐かしいあの駅前検査は当時盛況で検査も時間がかかり
私は木曜に受けたのだが金曜夜にギリギリ通知が来るかどうか、
そこで来ないと土日は休業なので月曜お知らせって、意味ねーっ!
仮に通知が間に合っても「陽性」とか?(当時無症状陽性が多かった)
私は天性のヒキの悪さもあってそういうことが充分あるし
監督はキャラ的にそういうマイナス要素は寄せ付けない感じがあったが
・・・
逆でした。
私が陽性で監督が陰性なら何の問題なく場が成り立つが逆は無しだろう。
この事態はまったく想定したなかったが当日、監督からメールで
「一人で行って舞台に立ってください」

実際にはプロデューサーさんで地元商工会関係の一緒だったのですが
あちらもいろいろ想定外だったと思われる。
いろいろよくしていただいき、まず今後ないだろう経験もさせていただいた。会場のデカさにビビり、蒲郡市長さん、幸田町長さんからご挨拶
いただき、地元新聞からも取材。
なんなんだ?急に!!

案の定舞台挨拶はグダグダ。
後に神戸や横浜の舞台挨拶を経てわかるのだが、蒲郡のお客さんはほとんど
普通の善良なファミリー。スクリーンに展開される異様な河崎ワールドに
ポカーン状態。
その後に監督抜きの舞台あいさつに何が残されているでしょうか?

私自身そこになんら理想を求めてなかったので悪いことが起こらず
済んでよかったくらいの心境だった。
こんな形で疫病の影響を受けるとは思ってなかったが。

挨拶後、プロデューサーさんに連れられこの映画のロケ地にもなった
竹島ファンタジー館へ


地方ディープスポット好きには有名で私も好きな所だが
久しぶりに来たら証明がLEDになって更に妖しさ倍増していた。
あと「ひととき」コラム第1回で扱った子安地蔵像も頼んで連れて行ってもらった。新幹線が蒲郡を通過する時岡の上にちょっと見えるやつだ。

プロデューサーさんたちとも別れ、帰りの電車の乗る前の時間に駅前のラーメン屋で夕食。
この時期サッカーワールドカップの最中でちょうど放送時間だったか
店はちょっと凝った二郎的要素のラーメン屋さんだがそんな時間もあって
閑散としていた。
私はワールド系スポーツで世の中が浮かれてる感じは嫌いではなく、
かと言ってその輪に入っていくような者でもないのだがこの時の
空気はとてもいい印象として残っている。

まだ疫病禍、でも世の中はワールドカップ、自分はさっき人々の前、
舞台に立っていた。そして今一人ポツンと飯。

なんか不思議な思い出だ。




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