今日もていねいに。松浦弥太郎
朝の朝礼の際に、簡単なスピーチをするという時間を設けている。
夏休み前の最終日の朝は何と自分の番が回ってきてしまった。朝の電車の中で何を話そうか考える。
スピーチでは何か徳のある話をしたいなと思う。徳があるかないかはわからないが,ちょっとでも共感してもらえれば良いと思う。
朝の読書タイムで読んでいる「今日もていねいに」松浦弥太郎著 から何かないかなと思い、今日開いたペーシは、
「自分の使い道」
だった。
腕を組む、足を組むという習慣を意識的に断ち切ることを最近は始めた。それが自分の子供に対しての作法のお手本としてなる事を願いたいと、皆に伝えた。
「自分の使い道」
「やりたいことが、やらせてもらえない」と口をとがらせるのは子供だけではなく大人も同じです。「成長できるチャンスが巡ってこない」などと言う人もいます。
「したいこと」と「本当にできて、役にたつこと」は違います。
「あれがしたい」と憧れていても、実は好きでは無い事はたくさんあります。
「これがしたい」と思ったことでも、向いていないこともあります。だからまずは自分を道具とみなしましょう。例えば自分は、フライパンなのか、まな板なのか、土鍋なのか。そのためには家族、会社、地域、社会、すべての人間との関わりの中で、自分と言うことが役に立つ、何に貢献できるかを考えてみるといいのです。使い道を間違えた道は、何の役にも立たない上、無理を続けたら道具そのものが壊れてしまいます。
道具となった自分が、「これならお役に立てますよ」と言うものを見つける。これが本当の意味での自己主張だと僕は考えているんです。
すべての人は「ゴールの途中」なので、時の経過とともに、かつて玉じゃくしだった人がオープンに変わることだってあるでしょう。
どうかなるべくポジティブに、道具の使い道を考えましょう。よく観察し、よく考え、丁寧に行う。これに勝るプロセスはありません。
自分と言う道具を選んでもらえるように、手入れを怠らずにしましょう。
どうしてもアシスタントのときは「自分はこうだ」という直線的な考え方しかできない。たまにはその直線をまげてみることや、ナナメにしてみる事だって必要なのだと思う。
仕事をする意味がなんなのかという問いかけに、「人のため」という答えをするとするならば、
人のために何ができるのかを考えフライパンなのか,包丁なのか、両方できるのかを考え、観察し、行動してみると可能性はもっと広がると思う。道具ではなく人間だから,これから先どのようにでも変えていけると思う。
そんな中サロンワーク中に汗をかきかき、娘と妻がサロンに立ち寄った。娘は扇風機の前で涼みながら買ってもらったばかりの本を読んでいた。
足を組ながら。
スタッフは今朝の、僕のスピーチを思い出しただろう。親が見せる所作を子供は見ている。まだまだお手本にはなり得ていないという事が証明できていた。
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