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【月刊タスキ】出島を目指すことにしたアトツギの話

みなさん、こんにちは。秋田の看板屋のアトツギで不動産鑑定士の石塚伸宏です。

今回、少し決意表明的なものを書いてみようと思います。いえね、実際は全然固まってないし、自分の頭の中だけで考えている話なんです。だからわざわざnoteに書くこともないかなぁと思ってたんですけど、昔尊敬する先輩にこんな趣旨のことを言われたのを思い出しました。

「ノブ(私の愛称)、まず達成するって宣言してみな。みんなに宣言することで、達成するように必死に動くようになる。それで達成出来なくてもいい、気にするな、とにかく達成するって言い続けろ。言わないとそれは実現しない。

有言実行と良く言いますが、それは言うことで自分にも負荷が掛かり、周囲からもそういう目で見られ、結果として行動を促しやすいからだと理解しています。呪術廻戦的に言うと「縛り」ですね。

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呪術廻戦より引用

以下目次です。

・改めての自己紹介

改めての自己紹介です。石塚伸宏(友人にはノブと呼ばれることが多いです)、35歳(今年で36歳の年男)、秋田県秋田市にある株式会社新和工芸のアトツギです。

家業は祖父が立ち上げ、父が社長を務めています。事業はいわゆる看板屋、今年で創業55年目。私は「継ぎたいのなら別の事業を持って来い」と父に言われ、あれやこれやありまして不動産鑑定士資格を取得し、実家で鑑定業を開始しています。

あれやこれやについてはメディアに取り上げて頂きましたので以下参照。

・きっかけは親子喧嘩から

家業に入社し、1年5ヶ月。昨年末まで父である社長との関係性も比較的うまくやってきたつもりでした。

それが、正月、めちゃくちゃ喧嘩しました。

実は私、今まで父とそこまでの喧嘩になったことがなかったんですが、(というか人と喧嘩自体そんなしないですけど(笑))今回はお互いかなりヒートアップし、胸ぐらを掴むくらいの勢いでした。

これだけ家業への想いを語っておきながらなんですが、何のためにやっているんだろう?と虚しくなり、年始早々「不動産鑑定士 転職」とGoogleに打ち込んだりしました(笑)とんだ正月です。

その時は感情的になっていたので、いっそ独立するかとか社長と距離も置きたいし、仙台まで出て二拠点で生活するかとか実現可能性は置いておいて色々考えました。

喧嘩も一旦収まり、互いに冷静さを取り戻したのですが、感情的になって考えたことがそんなに悪くない打ち手に思えてきました。要は発想がジャンプしたんです。

・他の事例を知りたくなる

私だけかも知れませんが、家業にずっといると、その状況が所与になってきます。私は、喧嘩をきっかけに自分の発想が随分制限されていたことに気付きました。そこから、同じアトツギはどういう行動を起こしているのか調べ始めます。

最初に出会ったのが、事業承継とホールディングス経営について書かれた書籍です。アトツギの岩田氏のnoteで知りました。

①アトツギやヤル気のある社員が新規事業を立ち上げる際、新会社を立ち上げてリスク/リターンを明確化するのに便利。
(同noteより引用)

こんなやり方があるのかと思い、更に調べ進めます。

twitter上でアトツギの方とDMをしたり、自身も掲載頂いた継ギpediaで事例を探したりしてみました。

個人的には山上木工の山上氏がめちゃくちゃ印象的でした。

twitter上でよく拝見しているすぎや氏の事例も非常に参考になります。

・そして出島に出会う

メディア等ではよくお話させて頂いていますが、私は元々家業を継ぎたかった人間です。そのせいか、家業を繋いでいく思いも強く、それが結果として思考の足かせになっている自分に気付くことが出来ました。

そして、自分の意思決定に決定打を打ったのがこちら。

アトツギ総研の奥村氏のnoteです。詳細は是非noteを一読して頂きたいのですが、出島式ベンチャー型事業承継については以下のように定義されています。

出島のように、家業とは別(の法人)で若手アトツギが家業のリソースを活用しながら新たな挑戦を行う形をここでは「出島式」ベンチャー型事業承継と呼んでいます。
(同noteより引用)

この表現が秀逸だと思うのは、出島は遠く離れた島ではないという点です。完全に離れ離れではなく、橋を介して繋がっている。これが家業と新規事業開発のヒントにもなっている気がします。

こうした動きを経て、まず「出島を目指したい」という思いが募っていきます。

・でも、一旦立ち止まる

出島を目指そう、そう決めたものの喉に魚の小骨が引っ掛かったような感覚がありました。それは、出島に出ることが逃げの一手になってやしないか?という点です。

出島に出たアトツギ達の事例をよく見てみます。ケーススタディで挙げられていたカスタムジャパンの村井氏、先程のnoteでも引用された記事が下記になりますが、私はここに注目しました。

まず認められることやと思い、会社に来たら従業員にあいさつし、父には敬語で話すようにしました。仕事で実績を出していくと、従業員の僕を見る目が変わりますよね。親父も徐々に認めはじめる。今や、と思って親父に新しい事業の話を持ちかけました。
(同記事より引用)

こちらも同じnoteが引用元ですがDG TAKANOの高野氏。こちらでもここに注目しました。

事業を1人でスタートさせたので、すぐには海外に出て行けなかったが、国内のレストランに販売することで企業体力を蓄え、海外に打って出る布石にしたという。当初から見据える世界の課題解決。高野さんは、その歩みを着実に進めている。
(同記事より引用)

更に同noteには載っておりませんが、株式会社竹延、KMユナイテッドの社長を務める竹延氏の著書にはこのような記載があります。

しかし起業のアイデアには、義父もいい顔をしなかった。竹延は現場改革が奏功し好調に業績を伸ばしていたし、何より人材育成革命の難しさは、義父が一番良く知っている。しかも私はいまや、竹延のトップ営業マンであり副社長だった。会社の成長という成果を上げ、事業承継も見え始めていたこの時期に、あえて業界のタブーに挑戦する会社を立ち上げさせる価値があるのか。
小さな三代目企業の職人軍団教科書なきイノベーション戦記P79より引用

当たり前と言えば当たり前かも知れませんが、皆さんまず結果を出されている。その上で、更なる攻めの一手として出島に打って出ている。これをはき違えては絶対にダメだと思いました。

・ダメ押しとなった経営者達の言葉

カラーバス効果という言葉があります。赤を意識すると、赤色のものが目に入るというやつです。この時期はアトツギの新規事業開発や事業立ち上げに関する事例を貪るようにインプットしていました。

その中で3つ程心を打たれた記事があります。まずはこちら。

僕が見るに、誰も何も「経営」されてない状態が、そこにあったんですね。

そこで最初に取り組んだのは、まず、現状の数値をもっとクリアにしていくことでした。商品ごと、得意先ごとの粗利をきちんと把握する。固定費と変動費(今はMQ会計の考えを導入してるので変動費/固定費とは少し違うけど)を分けて、損益分岐点を把握する。現状がある程度わかれば、そこから目標や予算を立てる。目標や予算に対して施策を考えて実行する。計画と実績を毎月振り返る、乖離をチェックする。その乖離の原因を分析して、また対策を講じる。
(同noteより引用)

また、これをきっかけに中川政七商店の中川氏の著書も読み直したが、これまた琴線にバシバシ触れる訳です。

みんな何かというと新商品、新ブランドをはじめたがる。しかし、新ブランドよりも業務改善の方が、確実に経営の改善に結びつく。新ブランドは開発にお金も時間もかかる。ましてお客さんのあることである以上、うまくいくこともあればうまくいかないこともある。それに対して、業務改善は確実に成果を上げることができる。業務のフローは最適か?無駄な支出はないか?コストダウンできることはないか?ここで得ることができた支出削減は継続する。また一〇〇万円のコストダウンは営業利益一〇%の会社であれば一〇〇〇万円の売上にも匹敵する。
老舗を再生させた十三代がどうしても伝えたい小さな会社の生きる道。より引用

更に続けます。glassy株式会社工藤氏のnoteです。臨場感もあり、学びが大変あるnoteです。アトツギの方は絶対読んだ方が良い。

そして「印刷産業の流れは止められないかもしれないけれど、この機械さえ再び回すことができれば、また売り上げは伸びていくんじゃないか?」

産業全体の大きな話はひとまず置いておこう。ただ、この機械さえ、また音を立てて動いてくれれば、きっと何か光が見えるはずだ――。

そう考えたときに、ふと「社内報」というアイデアが生まれたのです。

社内報に行き着いたのは、印刷産業という抽象的で大きなことを考えたからではありません。目の前にある一台の印刷機を動かそうと思ったことで出てきたアイデアでした。
(同noteより引用)

この3つの記事・書籍を拝読しながら、まず自分で当たり前のことをやり切るって大切だなと感じました。まして、私は思い立ったら熟慮せず、突っ走る傾向もあるので、ここは足元を固めなければと思ったんですよね。

・足元でやること、家業への想い

こうした経緯を経て、まずは6月末の今期までにやることが明確になってきました。

1、不動産鑑定業で今期目標を達成する※計画を上方修正する。
2、看板業で自身の関与で新規案件を獲得する
3、看板業の案件当たりの収支構造を正確に理解する
4、家業の財務数値を今一度精査する(特に10年の売上推移の分析)
5、出島に出るための仮説を立て、本を読み、人に会い、仮説を磨く

さて、ここまで引用多めで書いてきましたが、最後に私の想いを書いていきたいと思っています。

まず、そもそもなぜ出島に出なくてはいけないのか?既存事業を手堅く固め、地域に根差して今までのやり方を踏襲していけばいいじゃないか?こんな声もあるかも知れません。

根本的な話ですが、私は当社をもっと良い会社にしたいと考えています。理念にある誠意・創意・技術で共に歩むではないですが、お客様にとっても社員の皆さんにとっても、そして自分も含め意義のある会社でありたい。

親子喧嘩をしても家業を継ぎたいと思ったのはやっぱり誇りがあるからなんですよね。今まで積み重ねてきた歴史を繋げていきたい思い、お客様の「やっぱり新和さんは間違いないですね」と掛けて頂いた言葉、「うちの会社はモノ作りへ向かう姿勢がキッチリしてるんですよね」という社員さんの声、自分にとってはどれもかけがえのないものです。

ただ、うまくいっているとは言い難いのが現状です。今までのやり方を変えずに来た分、時流に乗れていない点、組織を変えられていない点が多々あります。それで業績も良ければいいですが、ゆっくりと、でも確実に落ち込んできている。つまり、今の延長線上に未来はない、それは現社長とも一致していることです。

じゃあ、家業にコミットして変化させていけばいいじゃない?と思われるかもですが、私と社長の関係性・性格を鑑みると同一法人内だとどうしても軋轢半端ないんです。社長本人は私に自由にやらせているという感覚だと思うのですが、自分の想定外になった時にはやっぱり口を出さずにいられないんですよね、性格的に。

だから、出島に出ることを目標に据えてみます。そして、その手前は足元をしっかり固めます。会社に誇りはあるけれど、これだけ変化の激しい時代に家業の継ぎ方は色んな形がある、そう信じています。

・最後に妻の話

私は何か新しいことをする時、チャレンジする時は誰より先に妻に言います。今回の件も、真っ先に妻に相談しました(社長にはまだ言っていない)。

プライベートな話ですが、今妻のお腹の中には第二子がいます。そんな中、リスクの高い挑戦でもあるし、反対されるかも知れない。そうした思いもありました。でも、妻は言いました。

「ノブさんがそうしたいならやればいいと思う。そもそも、私は家業があるあなたに付いて来たわけじゃなくて、あなたに付いて来たんだから。家業を繋ぐというのも大事なことかも知れないけど、私としてはノブさんが本気でやりたいと思うことをやって欲しい。」

痺れませんか?ここまで言ってもらってやらない訳にはいきません。背中を押してもらったし、家族にも挑戦する姿を見せていきたいなと思いました。

先のことはまだまだ分かりません。出島に出るという目標を定め、結果として家業一本でいく選択を取るかも知れません。それでも、こうして一つ目標を定め、それに向けて動くことで変化があるように思うんです。

明日から3月、また気合いを入れて頑張っていきます!

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