エリヴェットと白鳥のドレス
第一章 王子の誕生
昔むかし、ヨーロッパのある国に、エライアスという名前の若い男がおりました。エライアスは村で一番腕の良い鍛冶職人で、とても強くて美しい剣を作ることができました。材質は何でもお手のもの。鉄だけでなく、金や銀、赤金や白金まで、どんな金属も上手に扱うことができましたので、村の人からは、水や空気までも操ることができるのではないかと言われたほどでした。
エライアスのお話をする前に、彼が住んでいた国について、少しお話しておきましょう。そこは、私たちの目に見える、ごく普通の人間たちが暮らすこの世界の端っこ。目に見えない不思議な生き物たちが暮らす世界との狭間にある、「光の国」と言われる国でした。そこではいろいろなものが、普段私たちが見ている様子とはほんの少しだけ、違ったふうに見えました。例えば光の国では、花の蕾は水晶でできていて、咲くとその花びらはビロードになり、そして枯れるときには飴細工になるのです。ですから多くの花々が、咲いているときよりも枯れるときのほうがずっとたくさんの虫たちを集めていることは、言うまでもありませんね。エライアスが住む村のそばには深い森がありますが、それは一見普通の森でも、どんどんと進んでいくと、そこに生える木々の葉はエメラルドのようにきらめく宝石でできているのです。太陽が顔を出せば、明るい透明な緑のカーテンが森を包み、まるで水の中にいるようです。風が森を吹き抜ければ、木々はきらきらとした高い音で一斉に美しい合唱を始めます。
この不思議な森の中心には、広い湖があります。湖の水はとても澄んでいて、季節によって色が変わるのです。春は深い緑、夏には明るい青、秋は紫色になります。そして冬にはほとんど色がなくなり、風のない時には一面に薄い水晶が張っているように見えます。毎年冬になると、たくさんの白鳥たちが遥か遠い異国からこの美しい湖にやってきます。
光の国には、白鳥にまつわる言い伝えがたくさんあります。白鳥が訪れると畑が豊かになるとか、子供が抜けた歯を湖に投げ入れると白鳥が銀貨にして返してくれるとか、どれも素敵なものばかりなのは、中でも一番古いある言い伝えのおかげでしょう。
それは大昔、飢饉や疫病を逃れて人々がこの土地にやってきた頃、大小あらゆる水辺を守り、支配していたと言われる女王が、実は白鳥の化身であったというものです。その女王はいつも、銀の糸で刺繍をした真っ白い衣を身に着けていて、頭には流れる髪と一体となったしずくの冠を頂き、すらりと長い首元を白鳥の白い羽根が飾っていたと言われています。傷つき彷徨っていた人々を迎え入れ、豊かな国を築かせたのは、この白鳥の女王だというのです。光の国の人々は今でもこの昔ばなしを信じています。そんなわけで、白鳥はたいそう人々に愛されていました。彼らは王家の紋章でもあり、国のシンボルであったのです。他のヨーロッパの国々と同じように、光の国にもキリスト教の教会がたくさん作られてはいましたが、白鳥の女王だけは特別に、信仰してもよいということになっていました。
さて、鍛冶職人エライアスの住む村では、年に一度、最初の白鳥たちがやってくる冬の時期のちょうど満月の日に、白鳥の女王を賛えるお祭りが開かれていました。村をきれいに飾りつけたり、羽根を模ったパンを焼いたりとそれは盛大なお祭りなのですが、一番大切なことは、白鳥の女王に美しい剣を奉納することでした。お祭りのための剣を作ることを親方に許された、数少ない優秀な鍛治職人たちだけが、何ヶ月もかけてこの剣を仕立てるのです。そして奉納されるのは、その中でも特別に美しい一本だけ。この一本に選ばれることがどれほど難しい、そして名誉なことであるかは、お分かりでしょう。
ある年のお祭りで、若いエライアスが作り出した短剣が、その一本に選ばれました。その短剣は銀と、ガラスと、ダイヤモンドから作られていて、柄の部分に彫られている立派な白鳥の目には、青い宝石が埋め込まれていました。 お祭りの日から三日間、剣は湖のそばの祭壇に捧げられるのですが、自分の短剣が選ばれたという名誉な出来事にエライアスはたいそう心を躍らせ、その三日間は毎晩、人気のなくなった真夜中に一人で湖に行っては、自分の作った短剣を眺めているのでした。
満月を少し過ぎた三日目の晩、新月に向かおうとする月の下で、不思議なことが起こりました。エライアスはきらきら光る短剣を見つめていると、透明な湖のほとりにもう一つ、青白く光るものを見つけたのです。近くに行ってみると、ぼんやりと白い影のように見えていたものが、それはそれは美しい女の人であることが分かりました。彼女は一度優しくほほえんだだけで、すぐにエライアスの心を虜にしてしまったのです。エライアスは何と声をかけたらよいかわからず、ただその美しさに呆然と見惚れるばかりでした。
彼女は名前をソフィアといいました。エライアスとソフィアは恋に落ち、たくさんの時間を一緒に過ごしましたが、エライアスにとってソフィアは深い霧に包まれたような女性で、彼女については分からないことがたくさんありました。ソフィアについて分かっていたことは、彼女は水の妖精であること、白鳥の女王に仕えていたこと、それからどういうわけかあの夜に、湖のほとりにいたということだけでした。というのも、エライアスがそのほかどんな質問をしても、ソフィアは
「覚えていないの……」
と答えるのです。けれどもその瞳は何かを隠しているふうでも、嘘をついているふうでもありませんでしたので、エライアスは心からソフィアを信じていました。
ある夜、エライアスがソフィアに会いに湖へ行くと、なんと彼女は赤ん坊を抱いていました。そしてその前では薔薇の花も咲くのをはばかるほどの美しい笑顔で、
「私たちの赤ちゃんよ」
と言いました。エライアスは驚きのあまり声も出ません。つい昨日までは何も変わりなく過ごしていたのに、その日突然赤ん坊が生まれているとは一体どういうことでしょう。どうやら人間と妖精では、時間の流れ方がずいぶん違うようなのでした。水の妖精の時間はもしかすると、人間の何十倍も早く進んでいるのかもしれません。とはいえソフィアは初めてエライアスと出会った夜と全く変わらずに美しく、むしろ少し若返ったような印象さえ与えました。赤ん坊は元気な男の子で、エライアスが短剣に刻んだ白鳥と同じ、輝く青い目をしていました。それから何日間も、二人は森の中で赤ん坊を育てながら楽しく過ごしました。
その冬が、ちょうど終わった日のことです。最後の白鳥たちがまた別の国へと飛び立ち、同時に数日前からだんだんと緑がかっていた湖の水は、完全に深い緑色になりました。春がやってきたのです。エライアスはソフィアと赤ん坊に会うために森へ入りましたが、その日、そこにソフィアの姿はありませんでした。長いこと森を探してみても、影も形もありません。森の中の小さな家に残された赤ん坊を抱きかかえて、エライアスは途方に暮れてしまいました。来る日も来る日も彼女を待ち続けましたが、とうとう再びソフィアが姿を現すことはありませんでした。
何日も待っているうち、エライアスにはだんだんと分かってきていたことがありました。それは、ソフィアが全く別の姿に変わってしまったか、あるいはもといた水の妖精たちの世界に帰ってしまったか、とにかくこの世界にはもういないということです。そして彼女はきっと、エライアスのことも、赤ん坊のことも、もう覚えてはいないのです。水が、氷や雪や霧に姿を変えるように、そしてそれらが時に全く別の物に見えるように、水の妖精ソフィアの中で何かが、完全に変わってしまったのです。
エライアスはそれからしばらく、一人で赤ん坊を育てながら過ごしていましたが、どうしても愛しいソフィアのことが忘れられずにいました。悲しみのあまり鍛冶仕事も手につかず、彼はとうとう病気にかかってしまいました。もし、エライアスの前に一度でも本当にソフィアが現れていたら、病気はすぐに良くなったでしょう。しかし、彼が見るソフィアは全て悲しみの霧に包まれた幻想に過ぎず、しまいには夢と現実の境目も、だんだんと分からなくなっていってしまったのです。エライアスは最期の力を振り絞り、愛しい我が子を連れて、村外れの小さな修道院へ行きました。ビジタシオンという名前の修道士は、身なりもぼろぼろになったエライアスを温かく迎え入れてくれました。エライアスはビジタシオン修道士の深い、誠実な目を見ると、臆することなく事情の全てを話すことができました。そして、どうかこの赤子に洗礼を授け、名前を付けてくれるようにと頼んだのです。ビジタシオンは赤子を、シュヴァンと名付けました。エライアスは名付けの儀式を見届けると、もう何年も前のことのように、あの冬の初めの日のことを思い出しながら、たったの三日で役目を終えてしまったあの美しい短剣を、両親の唯一の形見として、かわいそうなシュヴァンに贈りました。そうしてエライアスは目を閉じると、ソフィアの夢を見ながら、ゆっくりと幻想の霧の中に沈んでいきました。
ビジタシオン修道士はエライアスを丁寧に埋葬すると、シュヴァンをこれからどう育てていこうかと考えながら、夕べのお祈りを始めました。すると、とても良いことを考えつきました。それはビジタシオンが考えついたのか、神様からのお告げだったのか、はたまた白鳥の女王のお告げだったのか分かりませんが、とにかくとても良いことでした。彼は幼子シュヴァンを連れて旅に出ました。光の国の中心にある、王様のお城へと。