安西水丸さんのメモ

あるファッションメーカーの小冊子の編集をしていた時のこと。当時はメールなんかもちろんなく、電話をして表紙絵を依頼したいクライアント(今もこの名称でいいのかどうかはまた別の話)につなぐ…という役割だったと記憶しているが定かではない。

しかし、すでに売れっ子イラストレーターであった水丸さんのこと、電話ですぐにつかまるはずもない。何度も電話をし、直接話すことはできなかったがとにかく留守番電話に用件を吹き込むことにした。そして、手順を踏んでなんとか依頼を受けてもらうことができたのだった。

一回目の原稿が届いた。そこには希望通りの画稿に手書きのメモが同封されていた。あたりさわりのない挨拶に続いて、以下のような文章があった。

「あなたの苗字はすごく珍しいですね。僕の友達にも祐乗坊というとても変わった名前の男がいます。嵐山光三郎の本名なのですが…云々」

こんな数行のメモ書きだが、受け取った私は天にも昇る気持ちになった。原稿用紙かケイの入ったルーズリーフのうえに太めのサインペンで書かれていた…と思う。気の利いた編集者なら、それにセンスの良い返事をしたため、単行本の企画なんかを持ち込んだりしたかもしれない。が、とにかく忙しくまだ未熟だったためそのままになってしまった。

水丸さんの表紙はその後しばらくは続いたのだった。まだ日本経済が少しずつでも上向きの成長を遂げている最期の年月だった。


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