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小寺の論壇:小寺信良、60歳にして大学生になる

知財、IT産業、ネット、放送、買ったもの、ライフハックなど、コデラの気になるところを語ります。


この4月から、京都芸術大学芸術教養科というところに入学が決まり、大学生になることになった。昨年還暦を迎えて60歳になったところだが、今年度からは仕事しながら大学で芸術を学ぶことになる。

直接的なきっかけは、昨年10月に本メルマガに掲載した、ジェット・ダイスケ氏との対談である。ある種のセカンドライフ的な暮らしぶりのお話しを伺ったわけだが、その中でジェット氏が大学院に入って映像を研究する道へ入られた話を聞いた。その大学院は通信制で、京都芸術大学であるという。

その後もジェット氏の研究に協力する格好で、過去にいわゆる「ジェットカット」に言及した文章や書籍を送ったりするという関係が続いているわけだが、あとで調べてみると4年制大学のほうにも通信制があり、専門学校卒なら3回生から編入できるという。

同居している子供達は今高校生で、一番下の子が大学に入るまであと2年ある。子供達が大学に進めばそれなりに忙しくなるし、勉強するなら今の2年間しかないかもしれない。そんなわけで資料請求したり、オンライン説明会に参加してみたりして、なんとなく行けそうだという感触は掴んだ。

筆者が大学に行こうと思ったのには、色々な背景がある。

■理系と芸術

筆者が専門学校卒だという話は結構あちこちで披露しているので、覚えている方もあるかもしれない。高校の時はそこそこ成績が良かったので、親はもちろん先生も大学に行くものだと思っていただろう。

ただ自分の中では、非常に難しい選択を迫られていた。理数の成績が良かったので高校は理系へ進んだが、実際にやりたいのは、音楽や美術とテクノロジーの関係だった。当時YMOはすでにデビューして人気になっていたが、まだテクノロジーと芸術を結びつけて教えるというような大学も学部も存在しなかった。また理系から芸大へ進学するというルートもなかった。そのまま理系の大学に行けば、芸術の世界に入るのは難しいだろう。

そこで当時考えられる唯一の解決策だったのが、オーディオ技術者を養成する専門学校へ進むことだった。これなら理系の成績も活かせるし、音楽関係の仕事に付けるだろう。親も教師も難色を示したのは、当然かと思う。当時の専門学校は、大学進学が適わない学力の低い子が手に職を付けるために行くというのが一般的な考え方で、大学に行けそうな学力なのに専門学校に行くという選択肢は、進学校としてはあまり進めたくない進路であっただろう。

最終的には筆者の意志を尊重して、最終的には専門学校へ進学できることとなった。ただ就職先は、音楽業界に進むことは適わなかった。就職した1983年は、音楽業界はCDの発売は始まったものの、レンタルレコードの趨勢によって不景気であり、大手からの求人がほとんどなかった。

一方テレビ業界は逆に、レンタルビデオの趨勢により映画配給会社が息を吹き返し、衛星放送も打ち上がってチャンネルも大幅に増えたことで、大量の求人があった。筆者が入社した東北新社グループの技術会社では、同期入社が11人もいた。総勢50人程度の会社がそれだけ採用するのだから、どれほど急速に事業拡張していたかがわかる。

その後、映像業界に20年近くいることになるわけだが、アートディレクターやグラフィック・アーティストと仕事をすることになると、芸術を勉強していないことがハンデに感じることがあった。技術を駆使して商業芸術を作るのが仕事なわけだが、共通のベースがないので、話が食い違うことも多かった。

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