創作と捜索の狭間で

今、訳あって実家に、もとい入院をしている。

というのも、今年度幾度となく私生活を脅かしやがった気胸の原因を、ついぞ取り除くための手術のための入院であって、今体調がすこぶる悪いということではない。

実家に帰省したときですら暇だった訳だが、入院というのはそれすら上回る、人生で最も暇な時間の一つと言って過言ではない。

入院するということは、体調を理由とした事実上の軟禁状態に近く、外に出ることはおろか大部屋なら普通の会話すら憚られる。これは非常に暇な訳である。

まあ、下宿でも話す人なんていない訳だが。

それではと、無為な休日のように睡眠を謳歌すればいいのだが、ここは医療機関。健康的な生活リズムからは逃れられない。

それならば昼寝をすればと、真っ当なご意見もあるだろうが、実際昼寝をしたところでそれは有り余る暇な時間を夜に持ち越しただけ。
結局夜には寝られず朝が辛いという最悪のループに陥る。

というように。入院生活とは大変な暇を消化することが一つの難題な訳である。

では日々のゲームに追われる多忙な状況から逃れ、何をするのかと言われるとこれまた難しい話で。

動画やゲームといった娯楽は状況も相まって気を使うし、病院内を無闇に徘徊するわけにもいかない。

しかし、そこまで暇に追い詰められたとき、やっと出てくるものがある。

創作意欲だ。

創作といっても、一大学生でありネット環境も十分になく、PCも持ち合わせがない入院生活では大したことができない。
一方で自己満足で終わる創作より世に出せる創作物をつくれたほうが「暇」の有効活用ができたという別の満足感に浸れる。

つまり、事実と理想との板挟みだ。

だが、思い出せば一大学生であると同時に一学生劇団員。文字と文字を書く媒体とその手があればいくらでも脚本などを書くことができる。

さあこれで準備はできた。
暇つぶしという名の有意義な創作活動をしようじゃないか。

……と、言いたいところであるが、これがまた難しい。

脚本、もとい創作物とはそもそも構想があって初めて成り立つもので、構想もクソも「意欲」しかない状況であれば進むもんも進まない。

確かに今書きたい脚本の内容はある。しかしそのアイデアの原本は今、我が家のPCに置き去りとなって放置されている。

ではそれ以外に書きたいものはと言われれば、それも確かにある。
が、その書きたいものは頭の中ですら形になっていないのだ。

形のないものを作り上げるなんてのは、一端の学生にはどだい無理な話で、そいつを固める必要がある。

じゃあそれをやればいいじゃないというお話なのだが、これは正しくその通り。だが、ここが一番難しい訳で。

ここがすんなり決まる時というのは、自分の中でその世界が咀嚼され終わって、その世界を隅々までめぐり終えた後な訳で。

「ここが困難なうちはまだ書くべきでない」というのが、何年も妄想空想想像を続けて大学生になった男の結論であり、10年以上もこびりついたこの考えは、「書いてみればいいじゃん」なんていう言葉の金だわし程度では到底取ることの叶わない、清々しいまでの汚れになっている。

こうして、結局ゲームや動画に心が寄っていき、気づけば「遠慮なんてのは昨日の手術で取り除きました」なんて顔をするようになって、創作と捜索の小さな小さな狭間で、縮こまってゲームや動画を謳歌する入院生活になるんだろう。

……ところでなんでこんな自叙的な言葉遣いで、日々の書き散らしを書いてるんだ……?

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