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【映画】デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ デイドリーム

レヴューではなく、感想を。

・曲が多い。
「The Man Who Sold The World」以外(なぜ??)のほとんどの有名な曲がかなりの数使われていたと思う。

・画家、アーティストとしてのボウイーが描かれている。
そういえば最初の頃の表記はボウイーだった。
画家としてのアート作品がたくさん見れる。それだけでも映画を観る価値がある。

・Ziggyの意図を正確に伝えている。
David Bowieは、ミュージシャンというよりはアーティストで、「David Bowie」というものは究極的に存在しないものとして存在している。おそらくZiggyは、その目に見える姿である。

・David Bowieという概念がある。
個人的には、存在(Exist)でもなければ、神(Load)なのかというとそうでもなく、時間であり時代であるという概念(Concept)だと捉えた。この解釈には好みがあると思う。
じつは、私自身、
・歌詞に、共感できない。
・音楽性も、あまり好きなジャンルではない。
・歌い方も、好きなタイプではない。
・顔が好き、とかでもない。
・異性として好き、でもない。
・ああなりたい、憧れかというと、人種も環境も言葉も職業も違いすぎて、考えられない。
にもかかわらず、David Bowieには、惹かれるものがあるし、興味があって、全アルバムを聴いたし、そこそこのレアEPも持っている。初めて海外に行ったのも、Bowieのショウを観に行くためだった。そこまでした理由が、自分でもよくわからない。不思議な人物。

・音楽的な説明がない、論点が音楽ではない。
個人的にはSSW(Singer-Songwriter)だと思っている。
フォーク、ブルーズ(ブルース)、ロックンロール、ヴォーカル曲などの、古典的なベースで、70sには70sらしく、80sには80sらしく、90sには90sらしくある。
自分の中ではBowie自体が概念であるから、Bowieが成長するというより、時代を生き写している。
たまにオジサン世代が流行りモノを取り入れてダサいという意見を聞くが、まあ、そうかもしれない。
つまり音楽自体が先進的なのではない、と個人的には思う。だから、音楽的に前進した、後退した、という議論が出てきても、そこまで重要視しなくていい気がする。

・ミュージシャンが出てこない。
Lou Reed、Iggy Popはおろか、他のミュージシャンとの交流がほぼ描かれていない。
カウンターカルチャーについても皆無で、バスキア、ギンズバーグ、ウォーホルなどの話はない。

・化粧のシーンがある、左利きである。
そもそも伝統芸能やゲイやドラァグクイーン以外で、化粧をした初めての男性だと聞いていた。それよりは、妖艶で、セクシーで、中性的だが、女性的ではない、自分がワクワクする服を着ている。
とても羨ましいと思った。

・哲学的である。
仕事をするとかお金を稼ぐといったことより、「役割を求める時代」の寵児であるような紹介であった。
Bowie本人の発言を鑑みても、的を得た指摘だと思う。

・たぶん自然派。
身を置く環境も、その時惹かれた場所で生活する。
あくまで、観光や旅行ではなく、生活の場を選んでいる。
(個人的に、住まいのことは、服の話と並び、映画のなかで一番惹かれた部分。オフの話はちょっとしか出てこない。)

・膨大なインタヴュー集。
ただのインタヴューではない、ただのドキュメンタリーではない、と語る人が多いなか、「インタヴュー集でありドキュメンタリーだ」と言いたい。
但し、伝記ではなく、Bowieの人生の旅(Journey)を紐解くストーリーだと思った。
周辺人物が語るBowieではなく、「本人が語るBowie」のみで作られている。

・ファン向け。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』のように、バンドや曲を知らなくても楽しめる作品とは違うと思う。
それなりの往年のファン向けの、生涯をコラージュしたような映画で、遺族が膨大な資料を整理したような、ライブラリ映画だと思った。
でも逆に全くDavid Bowieを知らない人なら、イメージや先入観がなくて、いいかもしれない。

・コレクターである。
自分の中にぽっかり空いたものを、埋められないまま持ち続けるのではなくて、空いてたら空いてたで、何かで埋まっていくものなのかなと思うから、個性的だと思われるBowieは、どちらかというと、元々何かをたくさん持っていたというより、何かが欠けていて、そこが個性で埋められた気がする。
だから、普通の人がプラスアルファで得た個性とか、元々普通だったのが変化したとかじゃなく、本来あっていいはずのものが足りていなかったところに、アメーバかスライムのように、変化したり吸収したり、有形ではないものを集めて、肥大した感じがある。一定の形に落ち着かないまま生涯を終えたような気がするが、どうだろう。

・BMGによる映画。
Virginと決裂したり、突然Sonyから電撃リリースして、音楽業界がピリついた印象があった。
ただSony移籍あたりから、存在しなかったBowieが存在にフォーカスするというか、存在しないものがこうして実際に(地球上に、世界に、或いはフィジカルとして、或いは物理的に)存在している、というのがおそらく2000年代以降で、そこからは早かった気がするし、あえて評論するなら『Reality』がそれまでの人生の「対」なのかなと思った。

・誰かに扮しているのではない。
アーティストが別人を演じるというよりは、抽象概念として、アートの表現のような存在の仕方だった。
だから別の人格ではなく、アートまたは抽象概念として存在し、人間である必要もないから、別人格である必要がなく、人間の形をしている必要もなかった。
(ただ肉体がある以上、人間型のものになって表現するしかないので、火星人であったかもしれない。)

・ウィキペディア的な映画ではない。
David Jonesとして生を受け、ロンドンのBrixtonで生まれ育ち、ウンヌンカンヌンという説明映画ではなかった。

・なんらかのアイコン、シンボルではある。
Brian Eno、David Sylvianのような、普遍的な「アイコン」(スター、ポップアイコン、シンボルなど)だと思っていたのにその「裏」を行く人たちがいて、Bowieは、普遍的ではないが、ミュージシャンとしては、王道アイコンとその「横」の道を行くような感じがある。
音楽に限っては、メイン(主流、Mainstream)じゃないが、メインに寄り添い、感覚的にOutsiderやSubstream、Underground Cultureではなく、ジャンルの意味ではないAlternativeで、アーティストとしては、Queerに近い、メインとは全く別のところにいる感じがする。

・宗教や政治や思想を描かない。
哲学的なそれらは、社会的思想とは異なるため、「内なるもの」として登場するに留まっていたので、よかった。


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