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22年前の旗揚げの頃を振り返って プロレスリング・ノア レフェリー 西永秀一

みなさん、こんにちは。レフェリーの西永秀一です。
今年も「プロレスリング・ノア旗揚げ記念日」がやってきます。
初めてのnoteは22年前の旗揚げの頃を振り返って書かせてもらいます。

皆さんもご存じの通り、2000年8月5日&6日、真夏のディファ有明で旗揚げしたプロレスリング・ノア。
旗揚げ2連戦のチケットは発売開始早々わずか1時間足らずで完売。

華やかな演出照明
鉄柱から吹き上がる炎
ステージ全面にわたるパネル看板
そして今では当たり前となったセンター花道からの入場

ディファ有明の駐車場に大型ビジョンが置かれ、会場に入れなかった多くのファンがリアルタイムで試合を観戦しました。

当時はどれも初の試みで大成功の旗揚げ戦。
しかしその準備は大変なものでした。

三沢光晴社長がノア設立を発表したのが6月16日。
8月5日、6日に旗揚げ2連戦をおこなうことが発表されました。
事務所はまだ工事中のディファ有明のワンフロアで、仕切りのドアも壁もない状態。2カ月を切った期間で、何もない状態からのスタートでした。

自分が任されたのはポスター&チケットのデザイン。
三沢社長に
「一番最初に用意してほしい」
と言われましたが、デザインするにも選手の宣材写真がありません。
あったのは漫画家・あだちつよし先生がデザインしたロゴのみでした。

まずはコスチューム撮影からスタート。
まだ完成していないディファ有明に選手に集まってもらい2日間かけて撮影。
当時はデジタルではなく、まだフィルムの時代。撮影してからポジが出来上がるまでに数日かかります。

届いたポジを選び、自宅のPCで24選手の写真をスキャンしデータ化、それを切り抜きく地道な作業が続きました。

ポスターのイメージは
「ノアの方舟だから海でどうでしょうか?」
と三沢社長に確認すると「ニャッ」と微笑まれたのを今でも覚えています。
数日徹夜してデザインが完成。

データをMD(今でいうUSBメモリやSDカード)に入れ、印刷会社に渡すのですが、新しくできた会社と取引してくれるところがなかなか無く…

途方に暮れていると、全日本プロレス時代の印刷会社が、
「今、会社としてノアに協力できないが、三沢、永源(遥さん)やお前が困ってるなら個人的に協力する」
と、印刷会社を紹介してくれました。
なんとか入稿し、数日後、ポスターが完成。

次にリング。
リングが無ければ試合ができません。
道場で使用する練習用のリングは中古で購入。
試合用のリングもなんとか当時のスタッフの知り合いの鉄工所に無理やりお願いして間に合わせてもらいました。

演出は三沢社長の友人の紹介で有名な舞台技術会社に入っていただき、選手のユニフォーム&Tシャツは、今や人気俳優の井浦新さんが当時立ち上げていたブランド『REVOLVER』さんがデザイン、製作をしてくれました。

そしてTV中継は日本テレビさんが中継できず、ノーTVでの旗揚げ戦となりそうなところ、とある人を介してサムライTVさんの協力でスカパーPPVでの放送が決定しました。

様々な方の協力を得てなんとか出航に間に合った方舟。
あれから22年。船頭も変わり、乗組員も変わりました。
海賊に襲われたり、荒波の中、何度も沈みかけました。
それでも協力してくる方々、そして何より応援していただいているファンの皆様のおかげで帆を降ろすことなくここまで来ました。

8月5日、新たな方舟航海日誌のスタート。
これからも応援していただいている皆様と一緒に航海を続けていきます。
ご声援よろしくお願い致します。

プロレスリング・ノア
レフェリー 西永秀一

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