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「好き」以外の武器を持たないひとの妄言

概要

ゲームは好きなように作ればええねん

こんにちは、えぬらぼです。

普段自作ゲームをつくったりしています(作品

ゲームを作る以前から、小説、イラスト、動画など、いろいろな創作活動に励んでいました。ただ、ゲームを作り始める前に行っていたのは「二次創作」でした。完全な一次創作での発表をしだしたのは、ゲームを作り始めてからです。

二次創作も、とても楽しいです。

ただ、基本的に界隈の隅っこの方で「自分の見解」を(界隈の)道行くひとびとに叩きつけるみたいな作り方だったので、ただひたすらに「創作対象」と「自分の好き」を追っていればそれでよかったのです。
もちろん他の方の見解(=作品)を見て楽しむことも大事で、その影響がないとは言いませんが、そこに「観客」がいる創作を、私はしたことはありませんでした。

言っちゃえば公式以外全部幻覚ですからね。幻覚に主観者以外の期待とかを反映させるなんて普通はしないので…。まあ、世の中には集団幻覚もよくありますけども。

それはそれとして。

そんな生き物に「全部いちから何作ってもいい」ってUnity(簡単に言うと:ゲームを作るためのツール)を与えたらどうなると思いますか?

ドはまりしちゃうんですよ。

そもそもあった、プログラミングを学ぼうという目的が3日でどっか行くくらい、「ゲームをつくること」に夢中になりました。
拙い手でキーボードを打って、ほぼコピペみたいなスクリプトを魔改造して。キャラクターがムーンウォークしたり画面外までジャンプするのに唸りながら、やっとキャラクターがきちんと動いた時の気持ちはもう、本当にうれしいどころの騒ぎじゃありませんでした。

ゲームを作るの、すごく楽しいです。

特に、それまで敬遠していたプログラミングが、実は一番正解がわかりやすいのです。思う通りの結果にならないなら、それは間違ってるよというのが一発で分かるので。

そこで先ほどの話に戻ります。
プログラミング以外では、正解を決めるものは私の側にはないのです。
ストーリーもグラフィックもシステムも、最終的には「観客」が是とするものが正解なのです。要するに、ちょっとした配慮をもって「求められているもの」をつくることが大事なんですね。

今までの私に、そもそも存在しない尺度です。
そもそも大前提として、二次創作は「その対象が好きな人」が手にとるものでした。
自作のゲームは、(事前情報で多少好意的に見るから始める人が多いとはいえ)基本的に好感度はフラットです。少しでも苦痛があれば、それを推して先に進もうと思うひとは多くないでしょう。

「観客」の為に、世の制作者さま方は日々努力を重ねています。それは本当にすごいことです。

でも結局。

私は「観客」のいない創作・制作をすることに開き直りました

もちろん、キーコンフィグだったり、無駄なランダム性の排除だったり、作品の中身とは関係ないところは別です。
その辺はご要望になるべく沿ってお届けしたいですね(ちなみに気軽に言ってもらえると助かります…。ほんとに気付けないので…)

開き直っているのはストーリーとかその辺の「表現」にかかる部分です。

以前、ゲームマガジン新人大賞さんで、佳作を頂きました。
ゲームを作るのもUnityを使うのも、ほんとに何もかも初めてで、チュートリアルすらすっ飛ばして作ったゲームで、本当に望外の賞を頂いてしまいました。発表ページを見たときの心臓が爆発する感触はいまだに忘れられないです。直後に奇声を発したので、多分隣家の方は怖い思いをしたと思います。

発表記事で頂いた言葉に、こんなものがありました。

「ものを作ることそれ自体が、本当にお好きなのではないかと見受けます。」

本当に、そうだったんです。
逆に言えば、それしかなかったんです。

悔しいんですよ。

いままで、何かで一番になりたいと思う熱意も、目指すだけの研鑽もしてこなかったくせに。他の作品に敵わないことも、そもそも貰っている評価にすら全然実力が伴わないことが、とても悔しいのです。

でも、それでも作ることが好きでした。
自分はストーリーもグラフィックもスクリプトも、なんとなくさわれる程度です。音楽に至っては完全に門外漢です。
きっと全部が私にとって「表現」の手段に過ぎなくて、そこに「それしかないんだ」と狂おしいほどの気持ちを懸けてる人には、はるかに熱量が足りない「好き」です。

そんな身でおこがましいけれど、やっぱり悔しいし、でもその気持ち以上に、どうしたって作ることが好きでした。
けど、逆に言えばほんとに、私にはそれしかないのです。
「好き」を失ってしまえば、きっともう何も作れなくなるのでしょう。

そこで気付いたんですけど。

私の「好き」はそもそも私だけの見てる幻覚なんだから、「観客」と完全一致するはずもなかったんですよね。
作り続けたいならば、結局「観客」のいない作品と向き合い続けるしかなかったんですよ。えぬらぼの器量じゃ二兎狙い無理でした。

私には「好き」しかないです。

だからひたすらに「創作対象」と「自分の好き」を追い続けています。

振り落とされるなよ(ブォン)…って冗談はさておき、そんな作品を見てくださる方々には本当に頭が上がりません。
よろしければこれからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

……ところでこれ、思い出話じゃなくてただの自分語りでは?

余談

ちなみになんですが、悔しい案件について。
こちら素直に口に出したところ、リアルで思いがけなくかけてもらった言葉で、すっと楽になりました。

「悔しさを素直に認めることは本来難しい」
「その気持ちを忘れるな」

とのことだったので、悔しさでのたうち回っているひとがいたら、ご参考までに。結果は保証しませんけどね。



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