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希望を叶える仕事。

「お客さんの希望を叶えてあげたいんですよね。」と鏡に映る美容師さんが笑っていた。

「今日も結構、髪軽くなりましたね。最近春っぽくなってきて髪を短くしたいってお客さんが多くてすごい伐採してるんですよね。」髪を切ることを伐採て、、、おもしろい表現したな。「そうやってお客さんの希望を叶えてあげたいんですよね。今日もいい感じですね、どうですか?」と後頭部の髪の長さを確認するために鏡を見るように促した。

僕は美容室が割と嫌いな人種です。前にもすこしnoteで美容室が嫌いだったことを書いたことがあります。美容室に行って毎回聞かれる「今日はどんな髪型にしますか?」という質問が苦手だったからです。

特に理想の髪型というものはなくて「短めで。」とか「少し長めで。」とかそんなふうに答えるのが精一杯。そんなふうに答えないのに「あぁ、なんかこの髪型ちょっと違うな。」と思いながらお会計をすることもありました。割と嫌な客ですね、申し訳ないです。ww

そこまで理想の髪型がない僕の思いをゆっくり確認して、理想と思える髪型を見つけてくれた美容師さんがいた時はこの人すごいとなりました。その美容師もきっと「希望を叶えてあげたい」と思っていたのかな。そして、僕のために力を尽くしてくれたのかなと思う。

「希望を叶える。」そんなことができる美容師って仕事はいい仕事だな。と思ったのと、看護師もそんなふうに「希望を叶える。」ことってできるのかなと考えた。

看護師が希望を叶えることができるとしたらそれってどんなことだろう。そもそも患者さんのきぼうってどんなことなんだろうか。

僕の働いている病棟に入院してくる患者さんの多くは終末期と言われる病状の患者さんが多い。人生の最後が決まっている患者さんは一体どんなことを望むんだろう。

例えば自分らしい人生を送りたいとか、自分が考える理想の死に方をしたいとか、病気とうまく付き合いたいとか。そういうことが希望になるんだと思う。

看護師としてそいういう希望を叶えることができるんだろうか。

看護師という仕事はどっちかというと患者さんの生活を制限することの方が多い気がする。病状が悪化しないように食事制限をするように指導したり、治療を続けられることを優先するために旅行は制限してくださいとか。

でも、その制限は患者さんにとっては生命線ともいえるほど大事なことだったりする。制限を守れなければ寿命を縮めることにもなりかねない。だからこそ、医療者たちは患者さんに厳しい指導をする。

その制限が患者さんの希望を叶えるための障害になっているかもしれない。もしそうだとしたら、看護師としては病状が悪化しなように患者の生活を制限せざるを得ない医療者としてはジレンマがある。

ぼくもそうですが、人生をどう過ごしたいかとか、自分が考える理想の死を具体的に考えている人はそう多くはいないと思います。幸せな人生を送りたいなーとか、苦しまずに死にたいなーとか。よっぽどのことがなければきっとそれくらいにしか考えていないと思う。

まず、看護師として患者さんにできることはどのような希望を持っているのか、患者自身がどのような人生を生きたいのか、大切にしていることがなんのか、そういうことを具体化する手伝いをする。そして、どうやって生きていきたいのかの意思決定の支援をする。そうやって患者の希望を叶える支援ができるかもしれない。

ここまで考えて一つ考えないといけないことがある。それは病気になるという人生でも大きなライフイベントを経験しているということ。それは患者にとっては精神的に大きな負担となっている。病気になったという事実を受け入れることができない限り、自分がどう生きたいか、どう死にたいかなんて考えることができるはずがない。

患者が希望があったとしても、医療者が生活への制限を与えるなど障害が多くある。医療者以外の障害は家族や親しい友人ということもある。

家族や友人が本人よりも本人のことを考えることが患者本人にとっては希望を叶えるための障害になってしまうことがあるかもしれない。

患者と家族の橋渡しをすることも看護師として患者の希望を叶えるために必要な仕事なんだろうと考える。

看護師の仕事は大きく分けると「療養上の世話」と「診療の補助」の二つに分類される。でも、看護師の仕事はそれだけじゃなくて患者の望む希望を一緒に考えるようなコーチング的な役割とか、精神的に支えるようなカウンセリング的な役割とか、患者が希望を叶えることができるように環境調整をするマネジメント役割とか。そういったたくさんの要素によって看護師は患者の希望を叶えることができるのかもしれない。

ぼくも患者の希望を叶えることができるように日々精進しないといけない。


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