『14時46分~20時』

「30秒か、1分か、2分くらい、なんか長かった。もうさ、帰ろうとしてたからさ、茜と職員室前の廊下のとこずっといたよ。だから先生達すぐ来た。あ、F先生、今日は怒らなかった。でも、茜、と何人か、涙目だった。ホームルーム終わってたからさ、もう帰っちゃってた子もいたと思うけど。」

「交代しよっか。」

 女の子とその母親は、一つの羽毛布団の中に仰向けになり、互いの体温でぬくぬくと暖を取っていた。
 女の子は手回しラジオのハンドルを回す右手を止めて母親の手に託すと、自分の両手は布団の中にしまった。母親は手回しラジオの先端についた懐中電灯を居間の天井に向けてハンドルをきゅるきゅると回し始めた。
 満月みたいな真ん丸が天井にくっきりと映し出され、その外側も薄く暖色に染まった。
 カーテンの隙間からも奥の部屋からも、その夜は少しだって他に光が入ってくることはなかった。
 母親が手動で働かせているラジオは、モーターがズュィィと少々うるさい音を立て、その裏ではキャスターが延々とニュースを聴かせていた。

「一昨日もあったでしょ。そのときはさ、外で卒業生の見送りが終わったとこでさ、気にしないで皆ずっとおしゃべりしてたんだよね。んで、F先生めっちゃ怒ってさ、んでね、そのあと体育館に集合させられてさ、めちゃくちゃ怒ってた。」

「怒られておいてよかったね」

「うん、よかった」

 女の子がうなずいた。

 学校から帰宅してきた女の子は、夕飯の支度をする母親の横でその日あったことをぺちゃくちゃと話し始め、夕飯中も、夕飯後も、お風呂の順番が来るまで、母親に相手をさせるというのが日常だった。
 しかしながら、明後日に市内の別の場所へ引っ越しをする予定だったので、ここ数日の放課後は荷造りやら掃除やらで、てんやわんやしていて、今日も二階の自室を片付けなきゃいけないはずだった。

 居間の引き戸が開いて父親が入ってきた。母親が体を起こして懐中電灯を父親に向けその存在を確認する。

「はい。ストーブば持ってきたよ。」

 父親はそう言って座卓を引きずり脇に寄せると、戸の前に待機させていた古いだるまストーブを両手で「よっこらせ」と浮かせ、うまいこと部屋の中央に設置した。そして、ポリタンクと給油ホースも持ってきて、だるまストーブの給油を始めた。
 女の子は母親が照らす父親の作業を見つめていた。

「つけたい」

 父親が耐震消火装置のつまみを下げ、中央のダイヤルを「燃焼」へと回したところで、布団から出てきた女の子が点火役を志願した。父親は申し出を受け入れ、自分のダウンジャケットのポケットから100円ライターを取り出して女の子に渡した。
 母親も近くにきて、懐中電灯をだるまストーブの小窓の中の方に当てて女の子の手元を支援した。

「あれ、全然ムリ、もっと奥?」

 女の子は左手で点火つまみを押さえながら、右手をストーブに突っ込んでライターをカチカチと鳴らしたが、小さな火はストーブの芯まで届かない。

「チャッカマンじゃないからむずいべさ」

 横からそう言って、父親がバトンタッチした。父親は左手でつまみを押し、右手でライターの火をストーブに突っ込むと難なく着火し小窓を閉じた。

 最初は強すぎる炎に見えたし、しばらく使われていなかったストーブはやや臭かったが、やがて落ち着いて燃焼し始めた。漏れる明かりはテントで使うランタンにも見えた。
 女の子と両親は、ちょっとの間ストーブを囲った。

「いいね。燃えればだっきゃまいねから気を付けてね。」

 父親はそう言って自分の布団を居間の隅に敷き始めた。

「お父さん、電気とか全部、明日電話して一日くらい延ばしてもらわなきゃ。掃除終わらないんだから。大きな家具、引っ越し屋さん来てくれるかな。」

「んだな。軽トラっこば、借りてくるから電気戻ったら段ボールは運ぶべし。」

「ガスと水道、今のところ大丈夫そう。飯は明日も作って食べられるよ。」

「んだが。携帯は車で充電してけるから。」

 両親が会議を始めたので、女の子は母親から手回しラジオをひったくり、羽毛布団へ戻った。
 そして、ハンドルをきゅるきゅると回しながら懐中電灯で遊びを始めた。
 居間の天井のシーリングライトに懐中電灯がつくる丸い光をあて、両腕を天井に向けて上下し、シーリングライトの円に光の大きさを合わせようと奮闘した。けれども、ライトの真下から離れた位置に寝転がっていたので、縦に長くなってしまう光と横長に見えるライトの楕円は、調節してもぴったりはまらなかった。

 ラジオは最新情報が入りましたと言うが、ずっと似たようなことを言っていた。

 ハンドルをぎゅるぎゅるぎゅると素早く回転させても、ぎゅっるんぎゅっるんと回転させても、飛ばしたり早送りしたりすることは叶わず、女の子の住んでいる市の名前をなかなかお伝えしてくれなかった。

 夕暮れからずっとしていた単調な遊びにさすがに飽きてきていたし、話し相手もいない。部屋が暖まってきたことも効いて、女の子はハンドルを回すのをいつの間にか忘れた。
 ラジオは蓄電して貰った力でテキトーに横の壁を照らし、女の子はまだ早いのにすっかり寝てしまった。

 翌日の昼頃に市内の停電は復旧し、その翌日2011年3月13日に私たちは引っ越した。

読んでくれてありがとうございます。