9/14日記:「他人に興味がない」について

「他人に興味がないからでしょ」と言われて嬉しかった。

他人に興味がないって、深刻な人格障害を指摘されたみたいな響きがあるが実際は二つの意味が含まれていると思う。一つはそのまま感情感応性が低すぎるとか良心に欠けてるという意味。もう一つは他人との交流に喜びを感じる気持ちがないんでしょという意味。日頃からフェアと礼儀を重んじている私の場合は明らかに後者の意味で言われているし実際に当てはまっている。人との交流で快感や利益を得ようと期待する心を私は良しとしていない。そんなものは恥じるべき欲望だとすら思っている節がある。そう思うのは昔は親切とサービスをやりすぎて人が群がってきてしまって大変だったから。博愛主義の実践は大変で全身が血だらけになる。博愛主義というのも他人に興味がないと言われる要素のある特性ではあるのだが、出血している人に向けて「他人に興味がないんだね」とハッキリ言える人はなかなかいない。だからそういう風に言われると、強迫観念と自転車操業の日々から脱出できていることを実感し、自由を感じる。
「他人に興味がない」の「他人」は何を指しているかというと、「自分以外の人格」ということかもしれない。だとしたら確かにくちばしを入れるつもりはない。自分以外の人格とは接するものであって入っていくものではない。人格だけは相互不可侵であるべきだし、仮にもっと距離を詰めたいという気が沸いたとしてもやっぱり表立って言うことではない。他人の人格に介入するのはその人のオリジナリティを削ぐ事になりかねない。自分の人格に他人を取り入れるというのも同じだ。そう思うのは、人格というものへの自分なりの尊重の仕方であって、何かが欠けている結果ではない。
他人に興味がない、というのは何かに対する否定の言葉としては的を射ていない。否定したいのなら、良心的じゃないとか、人間味がないとか、コミュ障とか、冷たいとか、問題点をそのまま表現すればいい。他人格と距離を詰める事に喜びを感じないというのは欠点ではなく、お互いの孤独を第一にする考えの裏返しにすぎない。

私としては、「人がお好きなんですね」などと言われる方が内心オゾッとする。しかし、こう言われて温かい気持ちになったり、救われたような気持になる人もいるだろう事は、何となく想像がつく。

ご理解お願い致します。

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