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色彩とバカと鬱

コーヒーミルが欲しい。木のやつ。それが今の唯一の欲だ。今まで珈琲は飲めるけど酸っぱいか苦いかしかわからなかったのだけれど、最近になって突然利き珈琲ができるようになった。今の所美鈴の珈琲が1番美味しい。

ところで今は鬱だ。多分若干の多忙とかなりの体調不良のおかげで鬱だ。久々にビリー・アイリッシュしか聴けない期が来た。なんかもう豆腐とか食べてる。煙草で呼吸をしている。コーヒーミルが欲しいとか言いつつインスタントばっかり飲んでいる。何やったか覚えていない。ビリー・アイリッシュは聴ける。

とはいえ最近は鬱を悪者だとはあまり思わなくなってきていて、どうせ鬱はやってくるししんどいし死にかけるけど、なんか書く気になるしなんか作る気になるから、そう悪いものでもない気がして、鬱の進むままに手を動かしている。すると元気?な私が見たらこれ何だっけ、となりそうな色彩だったり言葉だったりが出てきて面白い。今作っているミトンの配色もきっと、後で見たら何だっけ、となるのだろう。ミトンじゃなくて魚になる可能性もある。

こうやって人は鬱を忘れていくのかもしれない。鬱を忘れた人達は何事も無かったかのように生活を始める、ように私の目には映る。ああ、この人達はもう違う世界に行ったのか、そうか、と思う。そしてこっそり寂しくなる。実際、鬱の記憶も無いし今となっては共感もできないと教えてくれた人もいる。そういうもんか、と思った。あとでこっそり寂しくなった。私はまだここにいるのに。

アドバイスされるのが嫌いだ。だって分かってることは分かってるし、分からないことは分からないから。私は私しかいないから。でも、彼氏に鬱入ったと伝えると小一時間アドバイスをされる。私はそれをはえ〜とかふむふむ〜とか言って別のことを考えている。かわいこぶってんな〜と思う。というか、私が私でない状態で接してしまっている。これはいけないと思い「あのクソ女がさあ」と話すと止められた。私はかわいくて言葉遣いがよくてアドバイスを素直に聞いて急に髪の毛切り始めたり急に川に入り始めたりしない、手のかからない子、なのだろうか。心底自分が嫌になる。私は誰のものでもないし誰も手に負えないのに。誰の手にも負われたくないのに。アドバイスやめてと言ってしまえば済む話だけれど、それはアドバイスをやめてというだけで、私の中身ではない。折り合い、をつけるしかないのだろうか。折り合いをつけるのも嫌いだ。だってバカみたいだから。

本当は私の好きな曲を聴いてみてほしい。一度でいいから吹き替えじゃなくて字幕の映画を一緒に観てほしい。人生の話をしたい。もっと、ちゃんと話したい。なのに私はバカみたいに突っ立っている。

バカみたいな毎日を過ごしながら、私は次の色を考えている。本当に、バカみたいだ。

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