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夕焼けというのはたぶん、善良な人に似合うものなのだ。

江國香織がそう言っていた。私は、夕焼けが似合わない。私のすきなひとたちも、夕焼けがちっとも似合わない。笑ってしまうくらい妙ちくりんでちぐはぐなのだ。私の恋人は、夕焼けのよく似合うひとだ。善良で、正直で、こわれていない。

生きることがそう難しくなくなったのは、つい最近のことだ。やっと、食べ物を食べ物として食べて、シャンプーの香りをいい香り、と感じ、夜はなにかを考える前に大急ぎで眠ってしまう。

鬱を克服する、正面から受け入れる、というのが私のやり方だ。鬱を鬱のままに、壊れながら生きようともがく。もがいてもがいて、疲れ果てた頃には少しだけ甘いものが食べたくなる。

最近夕焼けの似合う恋人から、鬱から逃げていいんだよ、むしろ逃げなさい、と言われた。そんな言葉は、正直聞きたくなかった。私を元気づけるために教えてくれた音楽もアニメも映画も、私にとってはありふれた世界のありふれた娯楽でしかなかった。私は、私は、と私はの先が出てこない。違うのに。ぜんぶ違う。端から端まで違う。

やっぱり嘘。ありふれた世界のありふれた娯楽でほんの少し元気になってしまった自分がいた。そんな自分が嫌だった。違う。違うのに。

今日、満員電車は視覚と聴覚を塞いでしまえば少しだけ満員電車じゃなくなることを覚えた。音楽が途切れた瞬間、そこは満員電車に戻ってしまうのだけれど。こういう楽しい考えを、誰かに聞いていてほしい。そしてどう思う?と訊いてみたい。

満員電車だったり満員電車じゃなかったりする窮屈な箱から出たら、雪が3粒だけ降ってきた。きっとサラリーマンも大学生たちも気付いていないくらいにそっと、ほんの3粒だけ降ってきた。秘密の雪。嬉しかった。

夕焼けがちっとも似合わない友達に会うことにした。会ったら彼女も毎日乗っているであろう満員電車についてどう思うか話してみよう。3粒の秘密の雪のことは、秘密。

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