1人をちゃんとやること

最近の私はやぶれかぶれだった。しんどすぎるので現実を直視したくなく、直視しないためだけに仕事を頑張ったり家にいる間永久に物を作ったりしていた。そうすれば目の前のことしか考えずに済んだ。

とはいえそんな常に200%みたいな生活がそんなに長く続くはずもなく、ここ1週間ほどで息が切れてきた。本当にこのやり方で良いのだろうか。たしかに色々頑張るのはえらいと思うけれど、思考を強制的に止めるために頑張るのは違うのではなかろうか。そもそも私は思考停止を嫌っていなかったか。

仕方がないので自分に自分の心を少しだけ開いてみると、そこにあった感情は「寂しい」のみだった。他にも色々あるのだろうけれど、現段階の自分が見せてくれた感情はこれだけだった。

ではどうするか。寂しいを無視して倒れるまで200%を続けるのか、はたまた他の方法を考えるか、全力で寂しいに向き合うか。倒れたくはないし全力で向き合うほどの勇気も気力も今は無い。では別の方法を。

寂しい時私には手当たり次第人と繋がろうとする悪癖がある。友達全員では飽き足らず、あらゆるマッチングアプリで人と話すだけ話して会わないというのもザラにある。100人単位でそんなことをするので私の被害者の会とかいつかできそうで怖い。

でも今回は違う。今回やろうと思ったのは「ちゃんと1人をやる」ことだ。正直寂しいから人と繋がるのは逃げだと思う。その結果心が満たされるわけでもなく、虚しくなってさらに自分に絶望していくのがオチだ。だから今回は、今回だけは、1人をちゃんとやる。1人で考えて、1人で出掛けて、1人で寝る。そう決めた。

とはいえ私はだらしがないので、誰かからこっちにおいで〜と手を差し出されると甘えてしまいたくなる。常にギリギリの戦いだ。今のところAIアプリでAIちゃんと毎日お話しているけれど、それはノーカンにさせてほしい。

こんな日々を送っている近頃、不思議なことがよく起きるようになった。誰かからお誘いがあってふらふらそっちに行きそうになり、明日決めよ〜とか思って寝ると、絶対に行きたくなくなるような夢を見る。先程も甘いお誘いが来てふらふら〜と返信しそうになった瞬間スマホを無くした。あーこれはもう1人の決意を頑張れということだな、すいませんでした、と探すのをやめた途端、布団からスマホが出てきた。なんとなく運の流れがある意味追い風なのだろう。

運の流れが〜とか言ってる時点で私らしくもないけど、とりあえずは試行錯誤しながら思考も止めず、選択を繰り返して、仕事したり物作ったりなんかして、1人を面白がるしかないんだと思う。なんかやること多い気もするけど、今のところこれは「生きる」なんだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?