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歴史に学ぶ運命観【海外転職】

海外転職が決まった。
内定を承諾し、新たな道に進むことを決意した。会社のクチコミを見れば、良い評価も悪い評価も混在しており、正直、迷う気持ちはあった。だが、もう選択の時は過ぎた。これを逃せば、次にチャンスが訪れるのがいつになるか、誰にもわからない。他社の面接に合格する保証もないし、今を逃すことはリスクが大きすぎる。

内定を承諾し、不安を抱えながらも、これからの日々で覚悟を決めて進んでいこうと思った矢先、忘れかけていた応募企業から選考の案内が届いた。タイミング的にはすでに遅く、今さらどうこうできるわけでもないのだが、不思議とその企業の方が魅力的に感じられる。

「隣の芝生は青く見える」とは、まさにこの状況だろう。いま決まっている道よりも、まだ見ぬ可能性の方が輝いて見えるのは当然かもしれない。人は常に自分の選んだ選択肢を比較し、未だ見ぬ未来に期待してしまうものだ。しかし、仮にその企業に合格したとしても、また新たな不安がつきまとい、今と同じような葛藤が襲ってくるかもしれない。


最近、中国の歴史ドラマを観ていると、
歴史に学ぶ運命観当時の人々がすべてを「天」の思し召しとして受け入れていたことに感銘を受ける。彼らは「人事を尽くして天命を待つ」という考え方を持ち、最終的には「天」がすべてを決めると信じていたのだ。自分の進む道や運命も、「天」が指し示すものであり、それに逆らうことはできないという潔さがある。

自分ができることは全力で尽くし、さまざまな可能性を模索するが、結局のところ、タイミングや運命は自分の手には負えない部分がある。それは「天」が判断するものであり、どんなに努力しても、その判断を受け入れるしかないという考え方だ。歴史ドラマを通じて、こうした「天」に委ねる潔さや運命を受け入れる強さを強く感じる。


海外移住に対する不安がないわけではない。
新しい環境、異なる文化、そして日常生活がどうなるのかと考えると、緊張や不安が頭をよぎる。それでも、この決断を前向きに受け入れるしかない。自分の未来は、この新たな道でどう花開くのかはわからないが、まずはその環境を「好きになる」ことから始めようと思う。

異国での生活は、きっと戸惑いや困難も多いだろう。それでも、初めからすべてを否定するのではなく、新しい土地に身を委ね、その地の文化や生活を少しずつ楽しめるように努力していきたい。そうすることで、次第に不安が自信へと変わり、いつか「これが正しい選択だった」と思える日が来ることを願っている。

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