印象を語る

 さまざまなものを語りたいと思った。でなければ、こんなにも文化というものは衰退していくものなのかと途方にもくれていた。厳密にいえば、僕が生きるうえでこの世界で重視している部分を語り継ぐことが大切なのだと思った。
 それは批評でも、意見でも、紹介でも、情報でも無いもので、それが何かと考えたときに、印象ということではないだろうか。印象は、どこまで行っても個人の感性に結びついたものだからだ。いま必要なのは自立した視点の軸だ。
 印象といっても、ひねくれていても良いし、無口でも良いし、陰キャでも良い。そのとき、道路交通標識のようなこの世界の天秤から抜け出すことができる。
 過去、現在、未来のどれもバラバラに書きたいものはたくさんあって、現在を書くことさえも間に合わないがそれでいいと思っている。たとえば世界初のOVAはダロスであり、このとき同時にOAVというものも生まれたために、名称の覇権争いが起こった。これは当時のアニメージュがOVAの表記を使ったことから、以後OVAの方が定着したのだ、といったようなそういうことも書きたい。これは僕が産まれる前の話だ。だから最新の年のベスト10といったようなものは、自分には書けない。でも、人間の思考回路の中にある時間というものは、そのようになっているはずだ。
 もう一つ意識したいのは、超越なのではなく越境であって、越境こそがいま必要ではないかと思う。

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