見出し画像

久々に会ってもよそよそしくしないで

人によっては、ちょっと会うのが久しぶりだからとよそよそしい態度を示してくる友人がいる。信じられない。
中学生の時、高校生の時、あれほど毎日のように一緒に同じ空間で同じ時間を過ごして、たくさんのことをお喋りして、なのにちょっと数年会わなかったからと、あの時の記憶が全部すっぽ抜けたのかというほどの「他人感」。

そんなわけないでしょう、と思う。私は全部覚えている。
過去のどの部分にあっても、平等にそれらは大切な時間で、大切な物事だから、いつだって私たちは友人であると信じている。

私は友達との思い出を全部個々人につなぎ合わせたタイムカプセルにしまってある。それはいつ何時でも自由に取り出せる。カフェでばったり会った時でも、信号待ちをしていて向こう岸に友人が見えた時でも、ショッピングセンターのエスカレーターですれ違った一瞬でも。

別に数年出会わなかったとて、過去の時間が消えてなくなってしまうことはない。過去の時間は絶対に存在していて、くつがえらない。
「友人」というのは、その一瞬限りの出来事じゃない。お喋りもお出かけも遊びも過去の一部分の話だとしても、そのとき生まれた関係性は持続すると思っている。

よそよそしい態度を取られると、悲しくて泣きそうになる。本当はアメリカのホームドラマのお母さんみたいに泣き叫びたい。ちょっとからかいの意味も込めて。「私たち、あんなに仲が良かったのに!!!!」って。

むしろ偶然に私はめちゃくちゃなハッピーを感じて、思わぬ所で思わぬ友人に出会うとその一瞬でテンションが爆上がりしてしまう。楽しくて踊りだしたくなるくらいなのに(私は嬉しい時や楽しい時に踊る)、当の相手が微妙な笑顔を浮かべて、ちょっと後ずさりするような身体で、困った眉毛で私のことを足からてっぺんまで見てくる感じだと、気に入らない。

まあ相手にも相手の都合とか思いがあるのだろう。お互いが「友人」として時を過ごしてから今会うまでの空白の期間に起こった変化が彼らを気恥ずかしくさせるのだと思う。中学生の時の自分の行動を20代半ばの今考えて恥ずかしくなることがあるように、そのころを知る「友人」はそれらを呼び起こさせる記憶の付箋であるわけだから。

それでも私はその空白の期間のことより、今会えた新鮮さや嬉しさのほうが素晴らしいことのように思う。
最近覚えたのは、相手に恥ずかしがる隙を与えず一瞬で距離を詰めて爆喋りをかます技である。なにより自分の喜びを表現する。相手がどう思っていても、少なくとも私はあなたに会えて嬉しいということだけは絶対に伝えたい。

「気恥ずかしさ」が本当に私の予想するように「空白の期間で起きた変化」にあるのだとすれば、これって成長とともにその「変化」は少なくなる(とされている)ので、20代でできた友人とは30代、40代になっても自然と話せるのかもしれない。
13歳から20歳までの7年間の変化は膨大なもので、身体も考え方も環境も大きく変化する。23歳から30歳までの変化とは違う7年間が存在するような気がする。

「大学でできた友達が一生の友達」と言われる。
正直私はいまいちこれを飲み込めていない。中学校や高校の友達と今でも仲良しだし、もちろん毎日は会えないけれど、みんななんとかして予定を合わせて年に1回、2回は会おうとしている。この私たちの努力は、これからも一生続くと信じている。
それに対して、大学の友達はさっぱり会えていない。学部時代に毎日のように一緒にいた5人の友達と最後に集まれたのは卒業式で、もう2年以上前のことだ。うち2名はSNSをしていないから生きてるかどうかも定かじゃない(SNSをしない友人が2人もいるのはこの時代にはとんでもなく珍しいことだと思う)。
中高の友人、つまり地元の友達は「地元」という特定の場所を共有している。年末年始や長期の休みが取れる時は地元に帰ってくるから、会える。でも大学でできる友達は、共有している特定の場所がない。地元もバラバラ、就職先もバラバラ、私たちの共有地は大学にしかない。大学は別に、「帰るところ」じゃない。

そういうわけだから、「大学でできた友達が一生の友達」というのに懐疑心を抱いているのである。
とはいえ、先の話に戻って「空白の期間」のことを踏まえると、確かに大学でできた友人とは10年後に会ってもまたみんなナチュラルに「友人」ができる気がする。でもきっとこれからの10年にも絶対になんらかの変化はあるから、よそよそしい態度を取られないだけで、実際には全く話が合わなくなったりしてしまうのかもしれない。怖い!

でも変化は忌避されるものじゃなくて、私はむしろ喜ばしいものだとすら思う。変わらないのは楽しくない。
まあ私自身はいつどの頃の友人に会っても「変わらない」と言われるけれど(「文学少女がそのまま大きくなったらあなたになるんだね」という旨を言われたことがある)。

それぞれの変化によって人がつながったり離れたりするわけだけど、それでも私は一瞬の間に生じた友情を永遠のものだと思っていたい。いつ会っても私は絶対に友人の振る舞いをするから、それだけは信じていてほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?